弘巌玄猊(1748~1821)は江戸後期の臨済禅僧。越後国出身。古心庵と号す。白隠慧鶴やその高弟遂翁元廬に師事し、画も遂翁に習ったといわれている。天明4(1784)年丹波高源寺に住し、荒廃していた伽藍を大いに再興する。大衆の教化に尽くし、とくに領主の織田信憑はその徳を慕い深く帰依した。
賛の「結果自然成」は、達磨が二祖慧可へ伝法する際に詠んだという伝法偈の四句目。達磨の法は受け継がれて自然に結実するという意味。なお伝法偈の全文は「吾れ本茲の土に来りて、法を伝え迷情を救う、一華五葉を開き、結果自然に成る」。