瑞岡珍牛(1743~1822)は江戸後期の曹洞宗の禅僧。牛懶野と号す。長門の妙音寺、肥後の観音院・東向寺、信濃の全久院、美濃の龍泰寺、摂津の法華寺等に住す。文化4(1817)年、尾張藩主徳川斉朝に請われ名古屋に万松寺を開く。文政3(1820)年、同国慶雲軒に退く。江戸後期を代表する書画に秀でた禅僧で、繊細で柔らかい筆使いで多くの書画を残す。また『訂補建撕記図会』や『永平道元禅師行状図会』等の道元伝に挿絵を付し、道元絵伝の普及に功績を残した。
曹洞宗の珍牛の画、臨済宗の海門禅恪(1743~1813)の賛の合作であり、両者の交流がうかがえる。海門は江戸後期の臨済宗の禅僧。円通室・金剛室・寒松軒と号す。豊後の自性院・山城の円福寺等に住し、文化元(1804)年、妙心寺440世に出世。