瑞岡珍牛(1743~1822)は江戸後期の曹洞禅僧。肥後国出身。牛懶野などと号す。文化4(1817)年、尾張藩主徳川斉朝に請われ名古屋に万松寺を開く。文政3(1820)年に退き、同国慶雲軒を開く。江戸後期を代表する書画に秀でた曹洞禅僧である。多くの書画を残したほかにも、『訂補建撕記図会』(1806年)や『永平道元禅師行状図会』(1809年)などに挿絵を付し、道元絵伝の普及に功績を残した。
羅睺羅尊者とは十六羅漢の一人で、釈迦の出家以前の実子である。のちに出家し十大弟子の一人となる。戒律を細かなところまで守り、密行第一と称せられた。
本図は羅睺羅が両手で腹を裂き、その中から仏顔が見えている。仏性とはほかならぬ自分自身の中に存在しているということを表現している図。
賛は五言絶句。珍牛77、文政2(1819)年の作。