仙厓義梵(1750~1837)は江戸後期の臨済禅僧。美濃国出身。円通・天民・百堂・虚白などと号す。寛政元(1789)年、福岡聖福寺の住職となりその復興に尽くした。聖福寺は建久6(1195)年に開山栄西、開基源頼朝により創建され、山門には後鳥羽上皇の宸筆による「扶桑最初禅窟」(日本最初の禅寺)の額が残る。
文化8(1811)年、は聖福寺内の虚白院に隠居。坐禅に終始し、その間に書画をよくした。戯画的な画風と人の意表をつく機知に富んだ内容で禅要を説き、人々に親しまれた。白隠慧鶴とともに臨済宗の近世禅画の代表者といえる。
虎渓三笑とは中国東晋時代の逸話に基づく。僧慧遠(334~416)は廬山(江西省)に東林寺を建て白蓮社を結成し、念仏による阿弥陀浄土への往生を祈願する浄土思想を深めていた。三〇余年間、山を出ることなく、客人を送るにも虎渓をもって境としていた。ある日、慧遠を訪ねてきた陶淵明(詩人、365~427)、陸修静(道士、?~477)を見送って同道していると、つい清談にふけってしまい、いつの間にか虎渓に架かる石橋を渡ってしまった。それに気付いた3人は大いに笑い合ったという。3人の活躍年代が異なるので後世の伝説だが、のちに仏教・儒教・道教の三教一致を説く題材となり、日本でも禅画として水墨画に好んで描かれた。雪舟等楊、海北友松、池大雅などの作品が著名。
仙厓独特の画風により、他の虎渓三笑図には見られないほど3人が愉快に大笑しているようすが伝わってくる。