次の場所
関連コンテンツを見る
柳瀬は1920年代前半、未来派美術協会やマヴォ、三科など、大正期新興美術運動の旗手として活躍した。10代は門司、阿蘇、天草など、自身が訪れた風景を描きとめていたが、20代になると、その画風は次第にダイナミックな抽象表現へと移行する。1922年の三科インデペンデント展と1923年のマヴォ第1回展覧会の目録に本作名が残されている。
美術館を探索し、Art Transfer、Pocket Gallery、Art Selfie などで芸術作品をお楽しみいただけます