木曽街道六十九次は1835年から1842年にかけて出版された浮世絵で、木曽街道(中仙道)69宿に起点の日本橋と中津川宿の替絵各1枚を加えた71枚からなる。当初、渓斎英泉が日本橋から本庄宿までの11枚に加え、宿場を飛び飛びに13枚の24枚を描いたが、その後、歌川広重が引き継いでいる。版元も当初の保永堂から錦樹堂に変わっている。この作品は、木曽街道のうち、日本橋から数えて10番目の本庄宿近くの勅使河原村から上野国新町宿に渡る神流川の渡し場のようすを描いている。神流川は二筋の流れであったため、中央の中州までは板橋が架けられており、その橋を参勤交代の大名行列が渡っている。中州には対岸への渡船が停泊している。遠方には、赤城・榛名・妙義の上毛三山と浅間山、日光の男体山がそびえている。