本図は、かつて和歌山県・高野山金剛三昧院(こんごうさんまいいん)に伝来し、密教の灌頂(かんじょう)という儀礼で使用されていたと考えられている。高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)の景観を屏風一双に大きく描き、向かって左端の総門から壇上伽藍(だんじょうがらん)を経て最後に奥院で終わる。構図上中心にくるのは、右隻5・6扇の金剛三昧院である。四季の変化もこれに対応しているが、本来、日本画の視点移動は右から左であり、本図の四季の展開はこれと逆転する。これは景観の地理的位置関係を重視した結果と考えられる。
本図が伝来した金剛三昧院の盛期が14世紀前半ということから、本図の制作年代をこの頃に置く見解が主流を占める。その細密な堂塔の描写は鎌倉時代末期の高野山の姿を偲ぶことができるほぼ唯一の手がかりであり、その美しい四季の姿とあわせてやまと絵の秀作として知られている。京都の日本画家・堂本印象(どうもといんしょう)の旧蔵品。