次の場所
関連コンテンツを見る
再封決定後、宗茂は元和七年(一六二一)二月二八日に柳川城に再入城、翌年九月まで在国した。宗茂が「飛騨」を称するのは、元和八年一二月二七日以降なので、おそらく元和九年以降、宗茂が江戸にいる時の書状と推測される。堀・薦野・谷田を城下屋敷割の担当者として指名し、「年寄中」(家老)と相談の上、案を送るよう命じていることから、早くても元和九年四月段階までは、再封後の屋敷割が確定されていなかったようである。
美術館を探索し、Art Transfer、Pocket Gallery、Art Selfie などで芸術作品をお楽しみいただけます