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本史料から、宗茂は徳川家の人質となる実母宋雲院の上洛費用を用立てることが出来ず、小野鎮幸から銀一〇貫目を借用していることがわかる。たとえ国替えとなっても来秋には返納する旨が記されている。柳川開城の時点で、宗茂は最悪国替えは覚悟していたようであるが、改易されて長い牢人生活が待っているとは、想像だにしていなかったかも知れない。
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