千利休(1521~1591)の書状。年代はわからないが堺の茶人、祐長宗弥(生没年未詳)宛てのものである。
千利休は安土桃山時代に活躍した茶の湯の大成者。利休流茶道の祖。和泉堺出身。名は宗易、号は抛筌斎。茶道を北向道陳・武野紹鴎に師事し、わび茶を学んだ。さらに紹鴎の参禅の師である大徳寺派の大林宗套に就いて「宗易」という法諱を授かった。茶人としての活動は、織田信長・豊臣秀吉の茶頭となり天下一の茶人としての地位を築いた。しかし秀吉から切腹を命じられ、天正19(1591)年、70歳で死去。
祐長宗弥は安土桃山時代の堺の町衆であった。祐長宗円の子。和泉堺出身。父宗円から受け継いだ馬麒の絵画を豊臣秀吉に献上するなど、秀吉との関わりがあった。
この書状で利休はのびのびになっていたが、宗弥から約束の袋を直接受け取りたいことを伝えている。なお袋の中にはお茶の壷が入っていたと思われる。さらに秀吉へのお礼に参上することをすすめている。
関連資料もなく具体的な状況はわからないが、12月23日付けであることから、年末の歳暮に関する贈答儀礼に関する書状かと思われる。