幸野楳嶺(1844-1895)は京都の新町四条の生まれで、明治期を代表する京都画壇の重鎮です。京都府画学校(現・京都市立芸術大学)の設立に携わるなど、教育者として知られています。門下には竹内栖鳳や上村松園など、次世代の画壇を担う画家がいました。1893年、幸野楳嶺は京都市下京区に位置する東本願寺大師堂の壁画制作を依頼されました。しかし、蓮の写生を始めて間もなく、病に倒れてしまいます。翌年12月、竹内栖鳳を筆頭に弟子の助けを得ながら、なんとか壁画を完成。本作はその壁画の完成を記念し、東本願寺に献納されたものです。泥から生えても汚れのない蓮は仏の象徴であり、つぼみから花、実が成る様子は生々流転を表現したもの。あらゆる命を慈しむかのように、小さなアメンボまでもを緻密に描いています。