台密系統の図像集である『阿裟縛鈔(あさばしょう)』に「十九位曼荼羅」とあるように、閻魔天を含めた十九尊で構成される。加えて、『阿裟縛鈔』では園城寺の鳥羽僧正覚猷(かくゆう)(1053~1140)が鳥羽院(1103~1156)に奉じたものとの所伝を載せる。この図像が天台宗寺門派で流布した事実は認めてもよく、伝承筆者も本図像の成立時期と近く蓋然性が高い。閻魔の下に各々脇侍(きょうじ)を従えた太山府君(たいざんふくん)と五道大神(ごどうだいしん)という中国の神格を描く。とくに、太(泰)山府君は、中国の泰山地獄思想と結びついている。また、閻魔天も密教系統の菩薩相ではなく、忿怒相をとり、これも中国の冥府信仰の影響を受け、「閻魔天」から「閻魔王」へと変質していることを示す。中国の冥府地獄信仰は奈良時代から日本に入ってきていたが、まだまだ頭でっかちな理解で在来の来世観が幅をきかせていた。しかし、この平安時代後期から、浄土教とこの中国説話とを血肉化して今日的な来世観へと変質するに至った。本図は、その過渡期的な特徴をよく示している。朝日新聞社創立者の一人、村山龍平の旧蔵品。