モンマルトルのポトー街に生まれたユトリロが、絵を描くようになったのは18歳の頃。 ロートレックやドガのモデルをつとめ、後にみずからも画家となったシュザンヌ・ヴァラ ドンの私生児として生まれた彼は、奔放に生きる母にまったく顧みられず、孤独な少年時代を過ごした。その淋しさを紛らわすように早くからアルコールに親しむようになり、10 代半ばにしてすでに中毒の症状を示すようになっていたという。絵筆を持つようになったのはその治療の一部としてであった。不承不承に始められた絵画制作は、やがてユトリロ の心をとらえ、数年後には早くもその創作の絶頂期を迎える 厚味のある漆喰のような白 と、遠近感を強調した空間表現を特徴とする、いわゆるユトリロの「白の時代」の始まり である。
この作品も「白の時代」の傑作のひとつ。画面中央、通りの彼方に小さく見えるドーム は、モンマルトルの象徴サクレ・クール寺院の屋根である。普段は観光客で賑わうこの町 の喧噪がまるで嘘のように、ユトリロの描く風景は森閑としている。太陽の光も人の気配 も感じられないこの風景には、印象派の画家たちが高らかに歌い上げた生の喜びはない。 あるものはただ白い壁に塗り込められた、画家の孤独な思い、描くことによってしか癒さ れない傷ついた心の哀しみだけである。
(出典: 『名古屋市美術館コレクション選』1998年、P. 29.)