中山道六十九次を描いた錦絵と呼ばれる江戸時代の多色刷り木版画である。江戸時代後期に活躍した渓斎英泉(けいさいえいせん)と歌川広重(うたがわひろしげ)の合作によるもので、日本橋から大津まで70枚が作成された。中山道は、当時の主要な街道の一つで、木曽街道とも呼ばれていたため、作品には木曽街道の名称が記されてる。大宮宿(埼玉県さいたま市)は、中山道の起点日本橋から4番目の宿場で、この絵は大宮宿の宿場内ではなく宿はずれの景観である。画面右側には、目的地に向かう駕籠に乗る庶民と、振り分け荷物を背負い菅笠をかぶる旅人が、左側には、鍬を背負う農夫と、駕籠(かご)を背負う子供が描かれている。作品名に「冨士遠景」とあるように、花が咲き誇る二本の桜の間に世界遺産にもなった富士山が見える。