天眼智弁(1737~1805)は江戸後期の臨済宗の禅僧。吸江軒・鵞湖と号す。信濃の温泉寺に住す。また甲斐の向嶽寺を中興した。遺墨は多く、釈迦・達磨・寒山拾得・布袋等の禅画を得意とした。
本資料は唐代の伝説的な隠者・寒山と拾得を描いた図。二人は天台山国清寺(浙江省)に隠棲し、物乞い同然の風体であったが、その言行は仏意に通じ、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身とされた。天台山で飯炊きの仕事をしていた拾得のところに忽然と現れたのが寒山だという。寒山と拾得の風狂な逸話を画題とした「寒山拾得図」は、禅院で大いに好まれ作例も多い。一般的には、寒山は経巻または筆を持ち、拾得はほうきを持つか天を指さした姿で描かれる。
拾得の賛は『寒山詩』の「吾心似秋月、碧潭清皎潔、無物堪比倫、教我如何説」より。天台山にかかる月を見て寒山は「今の自分の心境は、秋の月のように円満無欠であり、紺碧の深淵に映り輝いている。しかしこれはたとえであり、結局は何物にも比べることはできず、言葉で説くこともできない」の意。迷いのない悟りの胸中を秋月にたとえ、その表現しようのないすばらしさを詠んでいる。
寒山の賛は出典未詳で『寒山詩』にも見えない。