高野山内と、そこに至る道すがらを描いた図。画面を金雲で大きく四つに分け、一番上に壇上伽藍、その下に奥之院、さらにその下の逆三角形のスペースには多くの子院が描かれる。その両側の区画には二本の参詣道(向かって右が町石道、左が不動坂)が山中に見え隠れする。主要な建物や名跡、景勝などには当初のものと思われる貼紙がある。
壇上伽藍は寛永7年(1630)の火災でほとんどが焼失した。本作に描かれた景観では、ほぼすべての建物が再建されているが、金堂の後ろの灌頂堂のみがまだ礎石のままである。この景観は1736年から1760年までに年代が限定されることが指摘されており、制作時期についても表現様式から同じ頃と推測されている。