初代福岡藩主黒田長政の甲冑の一つ。兜の後ろの飾りは、檜の板に銀箔を張ったもので、源平合戦の鵯越(ひよどりごえ)の逆落としで有名な一の谷の古戦場の懸崖を表したとされる。また、具足は黒糸で威した桶側胴である。一の谷形兜は長政が同僚の大名・福島正則と不和解消のため、、大水牛脇立兜と交換し、関ヶ原合戦に着用した。後世、甲冑は「御神器(ごしんき)」とよばれ、この甲冑を着用した馬上像とともに崇められた。その他の藩主の甲冑は二代忠之の鯰尾形兜・黄糸威鶉巻胴丸具足以下、幕末維新期まで約250年間にわたる歴代藩主の着用した甲冑が、合わせて計16領残っている。三代光之以下は太平の時代にあった室町復古調の甲冑となっているが、それでも兜は水牛の脇立をもつなど初代長政の影響が見られる。また、六代継高が初代長政の一の谷形兜・黒糸威胴丸具足を模倣し、10代斉清、11代長溥や12代長知も長政に似せた甲冑を作らせるなど、長政の武将としての威風を慕うものも多い。鉢高:32.0 重:3100g/胴高34.4 重:5250g【ID Number1978P00002】参考文献:『福岡市博物館名品図録』