1897(明治30)年、鹿児島に生まれる。幼少時に上京し、青山学院中等部を卒業後、有島生馬に師事した。1916(大正5)年には、来派風の作品を二科展に出品、初入選して話題となった。1921(大正10)年ヨーロッパに留学、デュシャン、ツァラらダダの芸術家と接触し、イタリアでは未来派のマリネッティを訪ね、大歓迎を受けた。帰国後、二科展に滞欧作を発表し、二科会会員となる。戦後は二科会を再建し、以後同会をリードした。
東郷青児(1897-1978)は、戦後、甘い色調の婦人像で人気となるが、本作品は、こうしたいわゆる東郷様式が完成される前の、昭和初期頃の作品と思われる。この時代、1920年代の終わり頃から、日本でも洋装の女性、「モダンガール」が現れる。帽子をかぶり黒い手袋をした白い洋服の都会的な女性が、幾何学的な構成の背景の前に描かれている。東京で育ち、ヨーロッパで前衛芸術に直に触れた東郷の洗練された人物画である。