柳川藩主・立花宗茂の養父・戸次道雪は、豊後大友氏の一門であり、鎧岳城を守る戸次家に生まれる。幼名は八幡丸、大人になると鑑連と名乗り、出家した後に道雪と名乗る。
豊後国(現在の大分県)を中心に北部九州に勢力を広げていた大友家のため、17歳の初陣から73歳で陣中にて病没するまで数多の合戦で活躍、勇猛な武将としてその名を轟かせた。生涯を通して大友家への忠義を尽くし、元亀2年(1571年)には、博多を守る立花山城を預かることとなる。
天正3年(1575)、男子がないため一人娘の誾千代(7歳)に立花山城を譲り、6年後の天正9年(1581)に誾千代と結婚した宗茂に家督を継がせる。
力強い目が印象的な肖像画である。