本図は萌葱絲威しの腹巻に龍の前立の阿古陀形星兜を被り、連銭葦毛の馬に乗った益田元祥を描いた、いわゆる甲冑騎馬像である。元祥の顔は淡黄色に墨で輪郭を描き、腹巻は緑色の威絲に朱色や白色で飾り、胸には群青と灰色の掛絡をかけ、馬の飾りは朱色地に丹で網目を描くなど鮮やかで色彩豊かに描写されている。兜の吹返には上り藤に久の字の紋を、鞍や鐙、太刀拵えにはそれぞれ金泥で家紋が付されている。顔の表情は穏やかで親しみのある顔立ちである。
像主の元祥(1558-1640)は益田氏第20代の当主で、桃山時代から江戸時代初期に活躍した。永禄11年(1569)毛利元就から元の一字を与えられ、元服して元祥と名乗る。慶長5年(1600)関ヶ原の合戦での敗戦後、七尾城主から長門国須佐の領主となり毛利藩の永代家老の地位を得る。
筆者は、狩野元信の三男で狩野派三代目の松栄である。松栄(1519-1592)が山陰を訪れた形跡はなく、当時は画像者と画家が対面をせずに制作されることが多く、元祥側からの求めに応じて描かれたと考えられる。制作期は毛利氏が豊臣秀吉の支配下に入った天正10年(1582)以降の元祥が20代半ば、松栄は60代前半で長男永徳の陰に隠れて事績が明らかでない松栄の晩年期の作品である。
画面の上方には毛利元就の菩提所、萩・洞春寺第四世の如天玄勲の七言絶句の賛(後賛)があり、元祥が武人として幾度の戦で功名をあげ、臨済禅に精通していたと記される。画面の左下には「直信」の壺印がある。