宋紫石(そうしせき)(1715~86)は江戸の人で、本名を楠本幸八郎という。長崎に遊学して熊斐に絵を学び、さらに、沈南蘋の弟子で、宝暦8年(1758)長崎に来た中国人画家・宋紫岩からも学んだ。宋紫石という名前は、この師の名にちなんだ画号である。二人の師匠から南蘋流の表現を学んで江戸に戻った紫石は、中国風の写実性と、瀟洒な筆致・構図を融合させた「唐画」で一世を風靡することになる。
加えて、平賀源内を通じて洋学の世界にも接し、自身の画譜にヨンストン動物図譜を写した挿絵を描いたり、肉筆の作品でも洋風表現を指摘される作品がいくつかある。洋風の長崎派花鳥画とも言うべき秋田蘭画の成立や、若き司馬江漢を新しい絵画表現の世界に導いたのも、紫石の存在抜きでは考えられない。江戸のシノワズリーのみならず、洋風画のキーパーソンとしても重要な画家である。
本図では、早春の月夜のを淡墨を基調に表し、梅樹や綬帯鳥の描写を際立たせる。つがいの綬帯鳥は写実一辺倒で描かれてるわけではなく、その表情にはどことなく人間的な親しみが感じられる。款記は「宋紫石寫」 白文方印「宋氏印」朱文方印「雪渓」を捺す。