蕣は朝顔のこと。藤と朝顔、それぞれの花の下で戯れる合計14匹の子犬を、円山応挙風のスタイルで描いた六曲一双屏風で、栖鳳が古画を研究していたことを示す作品である。余白を効果的に用いた、ゆったりとした空間に、巧みな筆さばきで子犬たちの愛らしい姿が描写されている。左隻に記された「明治戊戌春日寫」から、「つちのえいぬ」すなわち明治31年(1898)に制作されたことが分かる。落款にある「棲鳳」の号は、明治34年(1901)に「栖鳳」と改名する前に使っていたもの。栖鳳の初期の制作活動を知るうえで貴重な作例といえよう。
竹内栖鳳(1864-1942)は京都に生まれ、幸野楳嶺に四条派を学んだ後、明治33年(1900)に渡欧し、西洋美術に触れた。伝統的な日本画に西洋絵画の表現を融合させ、風景、動物、人物など様々な画題に取り組んだ。後進の指導にも力を入れ、門下からは土田麦僊、上村松園らを輩出。京都画壇のリーダーとして活躍した。栖鳳の活動基盤は京都であったが、森鷗外とは文展(文部省美術展覧会)審査のおりなどに顔を合わせていた。