上段に29人、下段に28人、全部で57人の公家が無背景に配列される。かつては各像に貼札があった痕跡があるが、現在では全く遺されていない。しかし、画中に人名を記す「天子摂関御影(てんしせっかんみえい」(宮内庁三の丸尚蔵館)等との比較によって、描かれた人名をほぼ確定することができる。巻頭に正面向きで顔を右に向けた姿で描かれるのは法性寺関白藤原忠通(ふじわらのただみち)であり、上下2段に描かれる公家像は、大臣の補任順に建長4年(1252)内大臣就任の花山院定雅(かざんいんさだまさ)まで描いている。但し、上段25人目の九条良通と26人目久我通親(くがみちちか)との間には7人分の欠落がある。
体躯の描写は略筆にとどめているが、面貌描写は肌と唇に淡彩を賦し、精緻な細腺を引き重ねて、個々の人物の年齢等の特徴をあらわす似絵(にせえ)の名品である。装束は縫腋(ほうえき)束帯であるが、彩色はなく、有職文様とは思えない大根や蕪なども描いているのは、似絵に潜む遊戯的な性格がのぞいているものとみえ、この絵巻が表向きの制作ではなく、似絵の画家の家に具えられるものとして制作されたことを示唆している。