大愚良寛(1758~1831)は江戸後期の曹洞宗の禅僧。越後出雲崎の名主橘屋山本氏の出自。幼名栄蔵、のちに文孝。備中玉島の円通寺の大忍国仙の法を嗣ぐ。諸国歴遊の後に故郷に帰り、国上山(新潟県分水町)の五合庵や、乙子神社境内の草庵に隠棲して、世に出ることなく地域の子供や住民を相手に暮らし、托鉢の余暇に万葉風の和歌や自由律の漢詩を作り、書を楽しんで過ごした。清貧に甘んじ、自然に親しみ自由を愛した作風は、芸術性と庶民性を兼ね備え広く愛好されている。
本資料は托鉢の途中、柳の花が散る晩春の大河のほとりで漁夫の笛の音が聞こえてくる情景詠った詩。良寛の扇面書は膨大な数の遺墨にくらべれば数は少ない。良寛は扇面を書く時は上部を大きく下部を小さく軸の上に書き、山、谷には書かないようにする型を持っている。
なお本資料は浅田壮太郎監修『良寛展目録』(大和デパート長岡店、1975年)、(横浜)良寛会編『良寛を考える』(文化書房博文社、1979年)、『良寛墨蹟大観』第二巻 漢詩篇(二)(中央公論美術出版、1994年)等に掲載。