今帰仁グスクは沖縄本島の北部を支配した北山の拠点でした。北山王は中国(明朝)と交流していたばかりでなく、東南アジアルートともつながっていたことが発掘調査により明らかになっています。明朝の記録には3 名の王の名が登場し、栄華を極めていました。しかし、攀安知(はんあんち)が北山王だった1416 年、中山の軍勢の攻撃を受け、落城しました。攀安知は城の守り神である御嶽(うたき)の霊石を刀で切り、自害したという伝説が残っています。中山はこの城に北山監守を常駐させ、北部統治を強化しました。
2000年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。