近代中国を代表する画家の一人である斉白石(せいはくせき)(1864~1957)の筆による山水図。白石といえば、水墨淡彩による写意の花卉や草虫の小品が知られているが、本図のような大幅の山水は珍しい。
斉白石は名を璜(こう)といい、白石の号で知られる。湖南湘潭の人。大工や指物師などをしながら絵を学び、光緒28年(1902)から7年の間、陝西、江西、広東、広西などを5回に分けて旅した。その後、北京に居を定めたが、白石の画が評価されたのは、友人の陳師曾(ちんしそう)の勧めで画風を変えてからのことである。
本図は、白石の画名が高まりはじめた頃の作で、広西にある景勝地・桂林を訪れたときの記憶をもとに描いたもの。柱状の山峰が幾重にも連なる奇観を、水墨の濃淡と肥痩のない均一な筆線をもちいて、大画面の構図に写し取った。同年の作に「背江村屋図」(京都国立博物館須磨コレクション)があり、白石はこの時期に集中して宋人の画法による山水図を試みている。ただし、本図は特定の画家に倣うのではなく、宋代山水の気風を当代風に解釈しなおした独自の作品と見るべきであろう。
本図は、白石と親交のあった外交官・須磨弥吉郎(すまやきちろう)の収集品。白石は須磨に本図を「一生一大の大力作」(須磨ノート「斉璜白石翁」)であると語ったという。