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松平忠吉(徳川家康4男)所用
馬標とは戦場で大将の所在を示すために立てる目印で、旗や笠など多様な形態が工夫された。この馬標は家康の四男松平忠吉(ただよし・一五八〇~一六〇七) が関ヶ原合戦の折に使用したと伝えられている。忠吉は東条松平家の養子となり、福島正則の移封後に尾張を領し清須城に住したが若くして病死。同家は絶家し、遺領を弟の九男義直が継ぎ、尾張徳川家の祖となった。
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