1913年、3年間にわたる美術学校での勉強を終えたスーチンは、故郷リトアニアを去り、初めてパリの土を踏んだ。やがてモンパルナスにあった画家の集合アトリエ「ラ・リュッシュ(蜂の巣)」に出入りするようになった彼は、間もなくモディリアーニと知り合い、この年長のイタリア人の庇護と励ましを受けながら、自らの画風を築きあげていく。しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。傲慢と小心、大胆と繊細といった相反する性格を合わせ持つこの男は、フーケやレンブラントの描く古典的な世界に憧れながら果たせず、自らの才能に絶望しては作品の破壊を繰り返した。
初期のスーチンの画題には静物、それも食物を主題にしたものが少なくない。あるいはそれは日々の食事にも事欠くような貧しい生活を余儀なくされていたこの画家の、食事に対する強い執着を物語っているのかも知れない。しかし死んだ鳥や、魚、果物などを描いたそれらの作品は、「静物」の名前が不似合いなほどの激しい生命力に満ちている。その生命力は描かれる対象にあるのではなく、紛れもなく画家その人のものである。画家は対象に没入しながら、自らの思いの全てを画面の中にそそぎ込む。スーチンの絵を見ること、それは制作中の画家の思いを追体験することに他ならない。
(出典: 名古屋市美術館展示解説カード)