花鳥画の名手で清初六大家の惲寿平(うんじゅへい)(1633~1690)が描いた山水の作。柔らかな日差しが江南の水郷を包み込む夕暮れを、淡く巧みな賦彩によって印象的に表現した。「花隖夕陽」の「隖」は土手の意で、盛唐の詩人・厳維(げんい)が劉長慶(りゅうちょうけい)に贈った一節「柳塘春水漫、花隖夕陽遅」(「酬劉員外見寄」)に拠る。
筆者の惲寿平は江蘇毘陵(武進、現在の常州)の人。初名は格で、字の寿平で知られた。号は南田のほか白雲外史など。明の遺民(いみん)として苦酸を舐め、清廉をつらぬいた。
本図は、北宋初の詩画僧にして小景図の名手で知られた恵崇(えすう)の同名画巻に倣ったもの。題識にみえる唐半園(とうはんえん)(名は宇昭)は、惲寿平と同郷の武進の文人で書画収集家のこと。惲寿平は友人の王翬(おうき)とともに半園の邸宅に出入りし、その才をはぐくんだ。山水に秀でた王翬と親交を結び、第二手となることを恥じて花鳥画に専念したといわれる。しかし、本図のような淡彩の山水にも、カラリストたる惲寿平の天稟(てんぴん)がほとばしっている。
ちなみに、本図を慫慂(しょうよう)した澹菴とは、同郷の文人で、順治年間の進士である荘冏生(しょうけいせい)である。本図は、大正元年(1912)に日本へ亡命した清朝の遺臣・羅振玉(らしんぎょく)が携えてきた名品のひとつである。