多摩川の矢口の渡しを題材とする本作は、明治30年7月7日に納入された卒業制作品で、和田の代表作でもある。
黒田清輝、久米桂一郎らに学んだ和田は、明治29年(1896)白馬会創立に参加、同年開設の東京美術学校西洋画科では助教授として迎えられたが、自ら辞して同科選科に編入し、西洋画科最初の卒業生となった。本作の群像表現の背景には黒田清輝の《昔語り》があるが、後者が何らかの思想や歴史を典拠とする「構想画」であるとするならば、その影響を受けた和田作品は専ら同時代の風俗を表すにすぎず、我が国に「構想画」の定着しなかった所以である。画面上の高い位置に水平線を据えて、対岸を見つめる人々の後ろ姿を対角線上に配す。児島氏が指摘するように、例えば籠を背負う少年は《昔語り》の籠を背負う村娘に源泉を求められるが、ここでの少年の役割はただ一人我々の方に振り返り、左手で真っ直ぐ前方を差して観者と絵画空間とを仲介することにある。本作は明治30年に第2回白馬会展に出品され、滞仏中の同33年にはパリ万国博覧会に出品されて褒状を受けた。(執筆者:川口雅子 出典:『芸大美術館所蔵名品展』、東京藝術大学大学美術館、1999年)