昔、相応という若い僧が安曇川(現在の滋賀県安曇川町)の滝で座禅を組んでいた。 七日間の座禅の末に、一人の老翁が現れだって相応と向かい合って座った。
八日目に相応が「あなたは何者か」と口答えする。
「あなたこそ何のためにこんな僻地まで来たのか」と尋ねられる。相応は「私は天台の円仁(後の慈覚大師)の弟子だ。生身の不動明王の御姿を拝したいと思って来た」と答えた。
老翁は感歎し、この一帯の土地を譲りこの土地の領主になって欲しいと言い出した。そして、自分は新興淵大明神であり、以後仏教の修行者を守ろうと言って姿を消した。
驚いた相応だが、これはいよいよ明王のお姿をみたいと思い、何日目かに滝を見るとその中に炎に包まれた不道明王のお姿があった。 滝を流れる水は生命の源であり、滝そのものが心身を清める修行場でもあった。
不動明王には除災招福、戦勝、悪魔退散などさまざまな功徳があるという。 神聖なる滝の中に現れた、炎に包まれた不動明王のお姿に日本の安泰を願いたい。