文琳は林檎のことをいい、その形が林檎に似ている中国産小壷をこのように呼んだという。長谷川文琳の名称は、江戸時代初期の長崎奉行長谷川左兵衛藤広に因むといわれる。別に葉室文琳とも呼ばれることがあり、これは公家の葉室家に由来するものとされるが、同家に伝来したことは確認できない。江戸時代中期に冬木小平次に渡り、さらに松平不昧が江戸の墨屋茂助を介して二百両で入手した。
茶色味の強い釉薬の発色が美しく、一筋なだれとなって腰部まで達し、大きな指跡が二箇所にある。口のひねり返しはあざやかで、底は糸切りで中央部がへこむ。