「于公高門」とは人知れず善行を積んだ者の子孫が繁栄することを意味します。中国漢時代に裁判官をしていた于公は、常に公平な判決を下し、人知れず善行を積んでいました。その余徳として、子孫が出世すると考えた于公は、自らの邸の門を高い屋根の馬車が通過できる高さに修理しました。事実、息子の于定国は漢の宰相になっています。崋山は蛮社の獄の際、公平な判決を出した裁判官・与力中島嘉右衛門に対して恩義を感じていました。本作は、その感謝の気持ちを込めて流罪先の田原で生活していた時に描いたと伝えられています。細部にいたるまで中国風に描かれ、門の修理風景と自然をひとつの画面の中に無理なく見事に描きあげている作品です。長年の修行で習得した南蘋派、惲南田画風、西洋画風などを融合した崋山最晩年の集大成的作品といっても過言ではないでしょう。