平安時代中期、天慶二年(九三八年)。
第五十代・桓武天皇より六代の子孫、相馬小次郎・平将門は一族の所領争いに端を発し、武蔵権守・興世王らと共に時の権力、朝廷に反旗を翻し坂東八洲を征服・統治するに至った。
将門は、本拠地である坂東下総・岩井の地(茨城南西部)を都と定め、自ら「新皇」と名乗った。
世に言う「天慶の大乱」である。
しかし、従兄の平貞盛と藤原秀郷の連合軍に敗れ、将門の野望は儚く散ったのであった。
坂東の民に広く親しまれた将門は、今なお坂東武者の英雄として東京「神田明神」として奉られている。
ねぶたの場面は、守護神の北斗七星の化身である「妙見尊星王」を仰ぎ、理想の独立国家を見据える「平新皇将門」の勇姿である。