江戸時代の廻船の基地として栄えた、博多湾にある五つの浦(能古島(のこのしま)、浜崎(はまさき)、今津(いまづ)、宮浦(みやのうら)、唐泊(からどまり))の廻船業は、筑前五ヶ浦廻船(ちくぜんごかうらかいせん)と呼ばれた。江戸時代前期から福岡藩の年貢米の大坂運送を一手に請負い、それがすむと東北地方や松前(まつまえ)方面から米、木材などの大量運送に携わるなど、この時代の海上交通・物流の花形の地位をしめた。とくに18世紀前半が最盛期といわれ、五ヶ浦全体で約150隻があったとされる。石橋家は能古島に数家あった船主のひとつで、幕末に虎繁(とらしげ)丸(900石積)を所有していた。写真には廻船で使われた諸道具のうち、船箪笥(ふなだんす)(金庫型の懸硯、観音開の帳箱)、船時計(ふなどけい)(香時計(こうどけい)ともいい、香の燃える速さで時間を計った)、羅針盤(らしんばん)、朱塗り割子(わりこ)弁当一式、送状を入れる箱等である。この他、航海の神である金毘羅様(こんぴらさま)の剣型のお守なども船乗りたちの信仰の厚さをうかがわせる。また他の廻船関係資料としては、虎繁丸の船名額や、龍吐水(りゅうどすい)、能古島の別の大型廻船虎吉丸(とらよしまる)(1700石積)の進水(しんすい)祝の盃等があり、往時をしのばせる。
参考文献:『福岡市博物館名品図録』
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