津軽氏の家紋、卍・錫杖の由緒についての伝説である。
義父大浦為則の後を継いで間もないある夜、為信の夢枕に、異様な姿をした二人の童子があらわれた。そし て、「われらは、昔からこの西山(岩木山)に住み、勧善懲悪を宗として、民を教戒することを心としてきた。公(為信)よ、今こそ、この津軽の国を治める時 である。急ぎ実行せよ、われらが加護致す。」と告げた。
為信がその名を問うと、二人は「卍」「錫杖」と答えて消え去り、同時に夢もさめた。
そこで為信は、これぞまさに岩木山権現の霊験と喜び、旗印に卍、馬印に錫杖を用い、さらに兜の前立にも錫杖をつけたのであった。
その後、見事統一の念願が叶い、「津軽右京亮為信(つがるうきょうのすけためのぶ)」を名乗って、初代藩主となったのである。
この時の卍が、現在の弘前市の市章となっている。そして、為信が計画し、二代信枚(のぶひら)によって完成した(一六一一年)弘前城が、まもなく(二〇一一年)築城四〇〇年を迎えるのである。