亜欧堂田善は司馬江漢と並ぶ江戸時代の代表的な銅版画家で、江漢が銅版画制作から遠ざかっていた文化年間(1804~1818)に多くの作品を描いている。彼の後楯となった松平定信は江漢の銅版画を細密でないと批判し、より精緻(せいち)な製品を求めた。その要請にこたえて田善は高度な技法を習得し、それを世界地図などの実用画や多くの風景画の制作に発揮している。�
浅草寺のにぎわいを描いた本図は、江戸時代の鑑賞用銅版画としてはかなり大作のものだが、的確な描線で描きこまれた密度の高い画面が構成され、遠近法や陰影表現もうまく消化されており、職人的芸術家(アルチザン)ともいわれる田善の円熟した技量をよく示している。