1915年10月、本作を含む44点の安井の滞欧作品を特別展示した二科展は、大正期の日本洋画の大きな流れを生み出すことになる。安井のもたらした本格的で重厚な表現が、海の向こうの本場の絵画に飢えた敏感な若者たちの目と心とを捕らえたからである。当時の日本の洋画界では、黒田清輝の外光派的作風と、雑誌『白樺』などによって鼓舞された個性を絶対視するゴッホ風のある種乱暴な傾向とが注目されていたが、安井の滞欧作はそのどちらにも似ない堅牢な画面構成とマティエールによって、西欧の油絵の奥深さを知らしめたのである。
その反響の大きかった滞欧作の中でも、本作は《黒き髪の女》、《孔雀の女》などと並んで最も注目された作品のひとつである。安井と言えばセザンヌの影響を論じるのが通例なのだが、安井自身はこの作品についてドーミエの影響を語っている。それは、ルーヴル美術館に所蔵されるドーミエの《洗濯女》の形態との類似にあるようだ。なお、背後の扉の部分にテーブルの上の静物を消した跡が認められるが、赤外線写真で見ると、セザンヌを思わせる布や瓶の形が確認される。おそらく安井は、構図が複雑になるのを嫌ってテーブルそのものを消したのであろう。
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