熊斐(ゆうひ)こと神代(くましろ)彦之進(のち甚左衛門、1712~72)は長崎の唐通事(とうつうじ)(中国語通訳)。姓名を縮めて中国人風に熊斐と称した。彼は、享保16年(1731)から同18年にかけて長崎に滞在した中国人画家・沈南蘋から直接、絵画の指導を受けた唯一の日本人である。緻密な写実性を持った最新の中国絵画を学んだ彼には鶴亭や宋紫石をはじめ多くの画家が師事し、南蘋風花鳥画は日本中で新風を巻き起こすこととなった。
本図に描かれているのは、巨大な三つの桃の果実。「王母献寿図」という書き込みから、中国西方の崑崙山(こんろんさん)に住む西王母(せいおうぼ)が後漢の武帝に献上した桃の実を表しているとわかる。この桃は三千年に一度だけ実がなると伝えられる、長寿のシンボル。大振りの枝、たわわと実る大きな桃のリズミカルな配置が斬新な中国風吉祥画の大作。「淇瞻熊斐謹写」の款記と、白文方印「熊斐印」、朱文方印「淇瞻氏」を捺す。