次の場所
関連コンテンツを見る
行政や文化の担い手にとって、必要不可欠な道具であった墨は、往時は各地で生産されていましたが、その状況が変化し、奈良が代表的な生産地となったのには理由がありました。室町初期、興福寺の二諦坊では、仏前の燈明の煤を墨の材料とすることが試みられたのです。これにより、油を燃やして取られた煤「油煙」を原料とする「油煙墨」が現れ、濃い、黒々とした発色が得られることから主流となっていきました。これにより、いちはやく油煙墨の生産に取り組んだ奈良は、優れた墨の産地として知られるようになり、現在に至っています。
美術館を探索し、Art Transfer、Pocket Gallery、Art Selfie などで芸術作品をお楽しみいただけます
工芸品 に興味をお持ちですか?
パーソナライズされた Culture Weekly で最新情報を入手しましょう
これで準備完了です。
最初の Culture Weekly が今週届きます。