『玉篇』は、中国の漢字字書で、南朝梁の大同年間(535~46)、顧野王(こやおう)によって著され、もと30巻からなるもの。後漢の許慎(きょしん)が著した『説文解字(せつもんかいじ)』についで古い字書で、部首別に配列されており、語義の解釈は音義を主とし、各字の下にまず反切(はんせつ)を注し、つぎに群書の訓詁を引くものである。
この残巻は、3紙分が連続しており、現在早稲田大学に所蔵されている国宝『玉篇』巻第九から遅くとも江戸時代には離れていたもので、この部分は、巻第九に収められている「冊部第一百八 凡四字」の最初の「冊」の字釈の途中から「欠部第一百十二 凡一百三字」の第四十字目の「■<敫-攵+欠>」字までである。その字すがたから書写年代は唐時代7世紀から8世紀と見られる所謂「唐鈔本(とうしょうほん)」であり、紙背は治安元年(1021)8月に書写された『金剛界私記』の一部であることが知られる。この紙背より、遅くとも平安時代中期までにはわが国にもたらされていたことがわかる。