「わたしの上野」 北郷悟さん 〈上野の杜の彫刻めぐり〉

芸術の薫陶を受け、秘められた歴史を探る。上野を知るなら、彫刻めぐりがおすすめです。

作成: 上野文化の杜

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

JR上野駅上野文化の杜

出発地点:美術館としての上野駅

上野の山に寄り添うように立地する上野駅。明治16年の開業以来、東北への玄関口として、また東京名所の一つ、上野公園の最寄り駅として、大勢の人が行き交うターミナルだ。「駅」という性質上、つい単なる通過点と考えて見過ごしがちだが、実は構内のあちこちにアートが潜んでいることをご存知だろうか? 彫刻家の北郷悟さんと一緒に、上野公園に点在する彫刻をめぐるスタート地点にふさわしい場所といえる。

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

朝倉文夫「翼」上野文化の杜

JR上野駅:中央改札口朝倉文夫「翼」

中央改札口のすぐ上を見上げると、駅舎の屋根の形に沿って三角形の壁画が。タイトルは「自由」。昭和26年の制作だ。「戦後はいろいろな意味で人々が解放されていった時代。東北から希望や不安を胸にやってきた人たちに向かって『自由』というテーマを投げかけていることに大きな意味を感じます」と北郷悟さん。中央には馬、両脇にりんごを摘む女性、温泉で寛ぐ人など、東北の風物詩が描かれている。「馬は美術の分野では“時代”を意味します。時代とともに人がどうあるべきかを表現するには、『馬と人』は良い題材。ここでは馬がのびのびとしていますし、人々もゆったりと暮らしている、夢のある作品だなと思います。色合いもなんとも言えないですね」

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

猪熊弦一郎「自由」上野文化の杜

JR上野駅:中央改札口猪熊弦一郎「自由」 1952年(壁画)

中央改札⼝を出てすぐ、コンコースの右⼿に⾒えるのが、両腕を広げた少⼥像。待ち合わせによく使われるようだ。「彫刻には具象と抽象がありますが、朝倉⽂夫の場合、具象の中の写実彫刻。モデルに忠実に作られています。この像には素朴な、⽇本⼈の少⼥の姿が表されていますね」。広げた腕はタイトルにあるように「翼」をイメージしているのだろうか?「そうですね。いろいろな意味が隠されていると思います。改札⼝のほうに向けて、⼿を⾼く上げているのは、空間を誘導するような意味合いがありますから、『通りなさい』という仕草ともとれる。さわやかな存在感があります」

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

高村光雲「西郷隆盛像」1上野文化の杜

上野公園:高村光雲「西郷隆盛像」〈その1〉

上野駅を不忍(しのばず)⼝から出て、京成上野駅の脇の階段を登って上野公園へ。さっそく出迎えてくれるのが⻄郷隆盛像だ。「戊⾠戦争の功労者として、激戦地だった上野の⼭に建てられたモニュメント(記念像)。当時、東京美術学校の教授をしていた⾼村光雲の作です」。同時期に同じく⾼村光雲を中⼼としたチームが制作したのが、皇居前広場にある楠⽊正成騎⾺像。両像にその頃、開坑200 周年を迎えた愛媛県の別⼦銅⼭の銅が使われているという。

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

高村光雲「西郷隆盛像」2上野文化の杜

上野公園:高村光雲「西郷隆盛像」〈その2〉

「ヨーロッパでモニュメントを作る場合には、粘⼟で塑像を作り、⽯膏で型を取るなどのプロセスを経てロウ型鋳型を作り、ブロンズを流し込んで鋳造します。しかし、⾼村光雲は伝統的な技法を持つ⽊彫家で、仏師でもありましたから、塑像ではなく、⽊彫から型を取って鋳型を作る日本古来の⽅法で銅像作りに挑んだのです」と話す北郷さん。「原型が⽊を⼑で彫ったものですから、塑像の原型から鋳造したものに⽐べてシャープなんです。裾の流れる感じや腰の紐のふさの丁寧な仕事も⾒事でしょう?」。この⽊彫りの原型は⿅児島の寺院に保管されていたが、残念ながら第⼆次世界⼤戦の空襲で焼けてしまったという。

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

上野大仏1上野文化の杜

上野大仏

桜並⽊のメインストリートをぶらぶら歩いていくと、左⼿の⼩⾼い丘に「上野⼤仏」の看板が掲げられていた。下から⾒た限り、それらしい形は⾒えないようだが? 「上野⼤仏は⼤仏の姿をしていないのです」。階段を上がると、その意味がわかる。⼤仏のご尊顔だけが祀られているのだ。「関東⼤震災のときに頭が落ちてしまったのです。作り⽅にもよるのですが、頭部の厚みが均等でなく、⼀部に分厚くなっている部分があると、揺れたときにその重みでヒビが⼊って、しまいにはコロンと落ちてしまう。そもそも仏像の頭というのは落ちやすい面があるのです」

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

上野大仏2上野文化の杜

上野大仏の歴史

もともとは寛永⼋(1631)年に越後国村上城主、堀丹後守直寄公が戦乱後の供養のために建⽴した漆喰の釈迦如来像だった。建⽴後間もなく地震のため倒壊、⾦銅仏に改められるも、19世紀には⽕災や地震に⾒舞われている。「江⼾末期の写真には⼤仏殿が写っています。当時は上野の⼭⼀帯が寛永寺の敷地。五重塔が今も残っているように、その中に⼤仏殿もあったと考えるとわかりやすいかもしれません」。しかし明治に⼊ると⼤仏殿は解体され、⼤正⼗⼆年の関東⼤震災では頭部が落下。再建計画が持ち上がるものの、第⼆次世界⼤戦中の「⾦属類回収令」によって頭と胴体が供出され、顔だけが残されたのだった。

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

上野大仏3上野文化の杜

上野大仏、合格祈願の由縁

「でもね、こうして⾒ると、これもまたいいものですよ」とお参りしながら話す北郷さん。大仏をつくづく眺めつつ、「⿐の部分は後から付け⾜しているかもしれませんね」。おそらく地震で落ちた後に修復されたのだろうか。右の頬には、同じく落ちたときについたと思われる傷も。「だからね、もうこれ以上落ちようがない、と受験⽣の間では合格祈願の場所として有名だそうですよ」。お顔の周りには、たくさんの合格祈願の絵⾺、そして「合格しました」という桜の形をした絵⾺が揺れていた。

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

大熊氏廣「小松宮彰仁親王像」1上野文化の杜

大熊氏廣「小松宮彰仁親王像」〈その1〉

丘を降り、桜並⽊を東京博物館⽅⾯へ。JR上野駅公園⼝から動物園正⾨まで伸びる通路との交差点の脇に、⽊⽴に囲まれた堂々たる騎⾺像が。「東京美術学校ができる10 年前に設⽴された⼯部美術学校出⾝の⼤熊⽒廣の作です。⽒廣はイタリアから招聘された彫刻家ラクーザから、⻄洋の彫刻技法を学び、その後、フランスに留学もしています。東京美術学校では⾼村光雲を筆頭に⽊彫が中⼼だったのに⽐べ、⼯部美術学校では塑像が中⼼でした。このブロンズ像も、粘⼟で作った塑像から鋳型を作る、⻄洋の技術で制作されたものです」

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

大熊氏廣「小松宮彰仁親王像」2上野文化の杜

大熊氏廣「小松宮彰仁親王像」〈その2〉

「同じ時代に作られた騎⾺像でも、光雲が作った皇居前広場の楠公像とは、作り⽅が異なるわけです。⻄郷像で⾒た⽊彫のシャープさとはまた違ったものがあるでしょう?」。⽇本初の⻄洋式銅像とされる靖国神社の⼤村益次郎像も、⽒廣の⼿になるもの。当時からそうした流派の違いは明らかだった。「だからというわけではないでしょうが、⼤村益次郎の像は⻄郷像の⽅をにらんでいるそうですよ(笑)」

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

001国立西洋美術館:ロダン1上野文化の杜

国立西洋美術館:ロダンなどの近代彫刻を楽しむ

JR上野駅の公園⼝を出るとすぐ右⼿に⾒えてくるのが、国⽴⻄洋美術館。「⼩松宮彰仁親王像」からも歩いて数分の距離だ。実業家の松⽅幸次郎が⼤正から昭和の初めにかけて、ヨーロッパで収集した美術品をコレクションの中核としている。モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエが設計した建物は2016 年に世界⽂化遺産に登録。前庭にはロダンをはじめとする近代彫刻が並んでいるのが外からも眺められる。

写真右:オーギュスト・ロダン《地獄の⾨》1880-1890年頃/1917年(原型)、1930-1933年(鋳造)松方コレクション
写真左:エミール=アントワーヌ・ブールデル《⼸をひくヘラクレス》1909年(原型)
撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.

001国立西洋美術館:ロダン2上野文化の杜

国立西洋美術館:ロダン《カレーの市民》

14世紀、英仏が戦った百年戦争の史実をもとに制作された群像彫刻。⼈質として⾃ら敵地に赴く6⼈の市⺠の苦悩、恐れ、覚悟といった感情が⽣々しく表現されている。「1⼈1⼈が象徴的なポーズをしているので、それを一つの作品として配置するのは、なかなか難しいこと。それをロダンは⾃然な⼤きな塊としてまとめています。6⼈の関係性が空間とともに絶妙に機能しているのが⾒どころですね」

オーギュスト・ロダン《カレーの市⺠》1884-1888年(原型)、1953年(鋳造)
撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)

001国立西洋美術館:ロダン3上野文化の杜

国立西洋美術館:ロダン《考える人》

ロダンの代表作として知られる《地獄の⾨》。そのモチーフから多くの作品が派⽣して⽣まれている。《考える⼈》もその⼀つ。「バチカンのシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの壁画の中に、同じような体勢で座っているアダムが描かれています。もしかしたらその影響があるのかもしれません」。前庭にあるのは、拡⼤して鋳造されたもの。原型は同じく松⽅コレクションに含まれており、館内で収蔵されている。「ロダン⾃⾝にとっても重要な作品だったようで、亡くなったとき、葬儀の場に原型の像が置かれていたという話が伝わっています」

イタリアの詩⼈・政治家であるダンテ・アリギエーリの代表作『神曲』からインスピレーションを得た作品《地獄の⾨》の中央部分に鎮座する人物像が、作品から独⽴した彫刻作品。オーギュスト・ロダン《考える⼈(拡大版)》1881-1882年(原型)、1902-1903年(拡⼤)、1926年(鋳造)、松方コレクション
撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)

001国立西洋美術館:ロダン4上野文化の杜

国立西洋美術館:ロダン《地獄の門》

「基本的なテーマはダンテの『神曲』地獄篇からとっていますが、舞台劇などの影響も受けながら、⻑い時間をかけて制作するうちにさまざまな要素がアレンジされたようです」。中央の上部に座って、地獄を⾒下ろしているのがのちに独⽴した作品ともなった《考える⼈》のモチーフ。新しく建設されるパリの装飾美術館の入口の門扉として、フランス政府の依頼を受けて制作されたが、鋳造されたのはロダンの死後のことだったとか。

⾼さ540、横390、幅100(cm)を誇る⼤モニュメント作品。ロダンの⽣前にブロンズに鋳造されることはなかったが、現在では国⽴⻄洋美術館含め、世界に8つのブロンズが存在している。オーギュスト・ロダン《地獄の⾨》1880-1890年頃/1917年(原型)、1930-1933年(鋳造)、松方コレクション
撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)

001国立西洋美術館:ブルーデル上野文化の杜

国立西洋美術館:ブールデル《弓を引くへラクレス》

⼸を引く全⾝にみなぎる緊張感が伝わってくるようだ。「⾮常に⼒強いブールデルの作品です。彼はロダンの⼯房にいた⼈ですが、師匠とは異なる独特の⽅向性を⾒出しました。運動する⾁体の表現や、神話を題材にとる点にそれが現れていると思います。藝⼤の教え⼦たちもそうでしたが、⾃分だけのオリジナリティを出したいという思いは、作家は皆、同じなんですね」

ブールデルの名を世界中に知らしめた《⼸をひくヘラクレス》。ギリシャ神話の英雄であるヘーラクレースからインスピレーションを受けている。エミール=アントワーヌ・ブールデル《⼸をひくヘラクレス》1909年(原型) 
撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)

ボードワン博士像1上野文化の杜

上野公園の生みの親「ボードワン博士像」

⼤噴⽔の⼿前を横切って渡り、奏楽堂⽅⾯へ向かう⼩路の途中にあるのが、上野公園の⽣みの親、ボードワン博⼠の胸像だ。「上野公園の歴史に関⼼のある⽅には、ぜひ⾒ていただきたい。明治の初め、上野の⼭に病院を作る計画があり、当初ボードワン博⼠はその視察のため訪れたそうですが、現地を見て、病院ではなく公園にしてはどうかと提⾔した。そうした経緯があって⽇本で初めての公園、上野公園ができたのです。それまで⽇本には『公園』という概念がありませんでしたから、博⼠がいなかったら、上野公園もなかったでしょう」

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

ボードワン博士像2上野文化の杜

ボードワン博士像

初代の銅像は博⼠の⺟国であるオランダで制作された。しかし、後に⼿違いで博⼠の弟の写真をモデルとしていたことが明らかに。現在の胸像は2006年に彫刻家・林昭三⽒によって作り直されたもの。背⾯に「F.Bauduin」の⽂字が。「藝⼤で教えていた頃はいつもこの道を通っていたのですが、途中まで存在に気がつかなかった(笑)。でもここはぜひ皆さんに知って欲しい。いつ⾒てもぴかぴかで、どなたか磨いているんじゃないかな。“上野公園の父”として愛されている感じが伝わってきます」

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

平櫛田中「岡倉天心像」1上野文化の杜

東京藝術大学:平櫛田中「岡倉天心像」

最後にやってきたのは東京藝術⼤学。美術学部の正⾨を⼊ってすぐ、⼤学美術館そばの六⾓堂に岡倉天⼼像がある。美術史家、思想家として、明治以降の⽇本の美術を牽引した存在である天⼼は、藝⼤の前⾝、東京美術学校の初代校⻑を務めた⼈物だ。「⽇本の古い⽂化を否定する⾵潮がある中、ニューヨークで『茶の本』を出版。⽇本⽂化や東洋思想のありようを世界に向けて発信しました。⾮常に鋭い、先⾒の明をもって、東京美術学校を育てた⼈です」

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

平櫛田中「岡倉天心像」2上野文化の杜

東京藝術大学:平櫛田中「岡倉天心像」

作者の平櫛⽥中は晩年の天⼼に教えを受け、のちには⾃⾝も藝⼤の教授を務めた。この像は、⾃分でデザインしたオリジナルの和服を着て、⾺に乗って登校していたという天⼼の往時の姿を写しとっている。「⽥中は107歳の⻑寿で、100 歳になっても材料の原⽊を買っていたといいますから、その創作意欲たるや、相当のものでした」。⽣涯彫刻家を貫いた作家が、若き⽇の⾃分を導いた恩師を慕う気持ちが素直に伝わってくるようだ。「天心は藝大にとって、今なお象徴的な存在。⼤学美術館で展覧会をご覧になった際には、ぜひ⽴ち寄ってみてください」

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

北郷悟動画上野文化の杜

提供: ストーリー

提供/上野文化の杜新構想実行委員会

文/松本あかね

構成/吉田 愛

撮影/松崎浩之(INTO THE LIGHT inc.)、五十嵐和則(WISH)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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