さぬきの夢02農林水産省
香川県は、四国の北東部に位置し、北には瀬戸内海、南には讃岐山脈に接する自然豊かな県です。日本の国土面積のわずか0.5%と全国で最も小さな県ですが、気候は温暖で、ゆったりとした美しい瀬戸内海とそこに浮かぶ島々(現代アートから世界的な巨匠の作品までが揃う直島に、海運の要衝として栄えた小豆島)、日本を代表する大名庭園の栗林公園など、その美しいロケーションの数々は、人々の心を惹きつけるものがたくさんあります。
香川を象徴するものといえば、なんといっても「讃岐うどん」。うどんは日本人のファストフードとして全国で食べ親しまれていますが、香川県の一世帯あたりのうどんの消費は、全国平均の約7倍!自らを「うどん県」と名乗り、全国に名を馳せるほどに、うどん文化が深く根付き人々に愛されているのです。そんな唯一無二の存在を誇る「讃岐うどん」、その歴史から現在までを紐解いてみましょう。
讃岐うどんの起源はどこから?
讃岐うどんの起源は、今から遡ることなんと1200年前。香川県の出身である空海が、遣唐使として渡った中国からうどんの技術を持ち帰り広めたという伝説があります。空海は、別名・弘法大師という名称でも知られる真言宗の開祖。平安時代の代表的な仏僧としても有名な人物ですが、知識欲旺盛だった空海は、留学僧として長安へ渡った際に、仏教や土木技術などのさまざまな学問とともに、その土地で食べられていた「うどん」も持ち帰ったのだとか。達筆であり、土木技術にも長けていたという空海は、日本で最大の満濃池を造築して農業の灌漑事業にも貢献しました。
空海像(2019)農林水産省
農家ための麺
満濃池は、香川県の西南部に位置する仲多度郡まんのう町にある、日本最大級の農業用ため池。雨が少なく、川にも恵まれないこの地域では、長い間この農業用ため池によって、丸亀平野一帯を潤してきました。その昔、洪水によって何度も決壊し人々を苦しめていたというこの池を、空海はたったの3ヶ月ほどで修復したと伝えられます。約1,200年前に、近代のダムで採用される「アーチ構造」の堤をつくったのだそう。その修築のために土木作業に携わった農民たちに小麦で作った麺を食べさせたという一節も。
滝宮天満宮(2019)農林水産省
うどん発祥の地
「うどんの発祥地」といわれる、香川県綾歌郡綾川町滝宮にある滝宮天満宮の敷地内には、初めてうどんを作ったとされる「龍燈院跡」の石碑があります。空海が唐で習ってきたうどんを、甥の智泉に教え、それを一族に食べさせたのがこの場所。当時のうどんは今のように麺状ではなく、団子をつぶして薄く延ばしたものが主流だったといわれています。
うどん屋の歴史
さまざまな伝説がある中で、讃岐うどんに関する最も古い資料は、金刀比羅宮の大祭の様子を描いた「金毘羅祭礼図屏風」の中にあります。今から300年前の元禄時代(1688~1704年)に絵師・岩佐清信によって描かれた屏風絵の中には、当時の神事の様子から参拝者、軒を連ねる商人たちの様子が細かに描かれ、その中には3軒のうどん屋も描写されています。その様子は、小麦をこね、生地を伸ばし、麺を切るといった、今と全く変わらぬ製法。
「こんぴら参り」とともに広まった讃岐うどん
古くから信仰の地となっていた金刀比羅宮への「こんぴら参り」が全国に広まったのは江戸時代。当時は庶民が旅をすることを禁じられていましたが、金刀比羅宮や伊勢神宮を始めとした社寺への参拝は、特別でした。金刀比羅宮は「一生に一度はお参りしたい場所」として全国に信仰が広まり、多くの庶民の憧れだったのです。そして全国からやってきた参拝者たちが、こんぴら参りの門前で食べたのが「讃岐うどん」。彼らが故郷に帰った際にその美味しさを伝え、各地に広まったといわれています。
今も人気の「こんぴら参り」。参道入り口から御本宮までの785段もの石段を登るため、参道横に立ち並ぶ多くののうどん屋では、参拝客のために「杖」を無料で貸し出しています。
老舗のうどん屋 外観(2019)農林水産省
うどん屋、外観(2019)農林水産省
うどん作り、茹で方(2019)農林水産省
あなたのお気に入りうどんは?
金刀比羅宮のふもとには、現在も多くのうどん屋が立ち並びます。江戸時代に建築された築数百年の老舗から、ここ数十年の間にオープンした新しいうどん屋までさまざまです。なかには約400年前に創業したという、老舗旅館の建物を残した趣のあるうどん屋も。お店によって、麺やだしへのこだわりも違います。自分好みのうどんを探しながら食べ歩きすることも、楽しみのひとつだといえるでしょう。
舞台にも現れるうどん
金丸座が近いこともあり、春のこんぴら歌舞伎大芝居の期間には、昔からたくさんの歌舞伎役者たちが訪れるのだとか。老舗のうどん屋には、歌舞伎の粋なポスターがずらりと並んでいます。
小麦栽培に適した環境と、狭い農地を活かした二毛作
香川県のうどんがここまで広く浸透したのには、この土地が小麦づくりに適した風土であったことも理由のひとつです。雨が多く湿度の高い日本は小麦栽培にはあまり向かない気候ですが、香川は温暖な気候で雨も少なく、土壌も良質であったことから、小麦作りが盛んになったのだといわれます。さらに室町時代には、米と小麦を作る「二毛作」が普及し始めます。狭い土地を最大限に活用するために考え出された伝統は、今でもほとんどの農家で受け継がれています。
香川県産の小麦開発:さぬきの夢
盛んに行われていた小麦栽培ですが、1963年ごろになると輸入小麦の台頭などにより、激減してしまいます。そんな中、地元の人々の県産小麦でつくった「本場さぬきうどん」の復活を強く願う声から、1991年に小麦開発がはじまります。県内のうどん業界を挙げての協力体制の中、これまでの国産小麦では実現できない、色のよさとつるつる感が特徴の「さぬきの夢2000」が誕生。その後も試作や試食会などを経てより進化した「さぬきの夢2009」が誕生するなど、人々の熱い想いがこのうどん文化を継承する上で大きな役割を担っています。
うどんの準備
100年以上の栽培の歴史を持ち、手摘みで収穫するなど丁寧に育まれた香川県産オリーブ。生活習慣病の予防・改善によいといわれるオレイン酸や、がんの予防に役立つといわれるポリフェノールなどの抗酸化成分が多く含まれています。オリーブオイルを採油した後の果実を加熱乾燥し、飼料として与えて育てたプレミアム「黒毛和牛がオリーブ牛」です。このオリーブ牛を使った贅沢な肉うどんは、讃岐うどんのニューウェーブです。
家族の行事
長年受け継がれてきた豊かな食文化を通じて、子どもたちの心と感性を育んでいくことができないか?と考え出されたのは、その名も「さぬきうどんの英才キット」。家庭で本格的なうどん作りを楽しむことができます。小さな子どもでも十分に楽しめる要素が盛りだくさんのキットには、お出汁をとることから学ぶことができます。
「讃岐うどん」について知れば知るほど、語り尽くせない魅力がたくさん!今も昔も多くの人に愛されている理由が良くわかります。人々の「うどん愛」は時代が変わっても受け継がれていくことでしょう。
協力:
満濃池土地改良区
滝宮天満宮
中野うどん学校
こんぴらうどん
虎屋
UDON HOUSE
香川県
SAVOR JAPAN
EAT!MEET!JAPAN
写真:中垣 美沙
編集・執筆:林田 沙織
制作:Skyrocket 株式会社