原型としての空間
新しい礼拝堂建設のための敷地と予算は限られていたため、建物はシンプルな箱型にする以外の余地がなく、その小さな箱の中にいかに祈りの空間をつくり出すかが問われた。そこで安藤は「全てを切り捨てていった先に残る空間の原型」を目指し設計を進めた。
光の教会(1989) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
その原型を安藤はロマネスク様式の修道院に見出す。かつて訪れたシトー派の修道院で見た、修道士たちの手によって積み上げられた洞窟的な空間と、そこに穿たれた開口部から差し込む光。豪華な装飾やダイナミックな造形によってではなく、抽象化された光による象徴的な祈りの空間。
コンクリートの箱に穿たれた光の十字架、そこから差し込む光によって満たされる礼拝堂というアイデアが生まれた。
光の教会(1989) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
建設にはさまざまな困難が伴った。なかでもとくに危機的だったと安藤が語るのが、建設資金が不足し屋根がかけられないという事態だった。しばらくは野外礼拝堂でもいいのではとすら安藤は考えたが、最終的には工事を担当した建設会社の意思で、建物は無事完成に至った。現代においても建築は経済性だけでなく、人々の想いによってつくられることに安藤は感動したという。
若き日の安藤忠雄(光の教会の現場にて)(1988) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
闇に浮かぶ十字架
直径5,900mmの球が3つ入る大きさの直方体の箱と、その箱を斜めに貫く一枚の壁という単純な幾何学的構成でつくられた礼拝堂。その内外に豊かなシーンの変化や空間の展開が用意されている。
光の教会(1989) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
礼拝堂へは前面道路から直接にではなく、コンクリートの壁沿いを回り込むようにアプローチする。日常の空間から祈りの場へと徐々に導かれた人々は、斜めの壁によって設けられた開口部から礼拝堂へと至る。
光の教会(1989) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
礼拝堂の内部は奥に向かって階段状に掘り下げられ、工事現場で使われる足場板を黒く塗りこめた床と、同じ色で統一されたベンチと説教台が空間の闇をより深く染める。その闇が、正面の壁面に穿たれた十字の切り込みから射す光をより強く、美しくする。闇の中に浮かび上がる光の十字架。
光の教会(1989) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
射し込む光は時とともに移ろい、さまざまな表情を礼拝堂につくり出す。この静謐な光のドラマのもと、人は静かに神へと向き合い、祈りを捧げる。
“光は深い闇を背景として初めて光を得る”『安藤忠雄 (現代の建築家)』(鹿島出版会,1982)
愛され続ける建築
光の教会/日曜学校(1999) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
礼拝堂の完成から10年後、日曜学校のための建築が増築され、さらに牧師館の改修が続いた。既存建物に付加するのではなく、新たな建物と合わせて、全体が一つの環境となるように注意深く検討が進められた。
光の教会/日曜学校(1999) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
日曜学校のための空間は、礼拝堂と同じ大きさのコンクリートの箱を対になるよう配置し、その隙間にポーチなど共用空間を整備した。内部は礼拝堂の仄暗い空間とは対照的に、光に満たされた子どもたちのための祈りの場とするべく、木そのものの素材を生かした家具や床材が用いられ、明るい雰囲気に包まれている。
光の教会/日曜学校(1999) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
建築家、建設会社、信者、それぞれの想いを一つにすることで、さまざまな困難を乗り越え実現した光の教会。それは一人の建築家による類まれな創作物であるだけでなく、人々に寄り添い、生き続ける信仰の空間なのである。
執筆:川勝真一
編集:和田隆介
ディレクション:neucitora
監修:安藤忠雄建築研究所