原爆の犠牲になった人びとが最期に発した言葉は、時を経ても、遺族の心から消えることはありません。
定期入れ(1945-08-06/1945-08-06)広島平和記念資料館
「これを宮島の家族へ渡して下さい」
片足が崩れ落ちた駅の梁に挟まった弟は、生徒手帳と定期入れを自分の身代りに差し出して、意識があるまま焼かれてしまった。
靴下(1945-08-06/1945-08-06)広島平和記念資料館
「お母さん お水ちょうだい」
やっとの思いで水をくんでもどると、娘は死んでいた。
風呂敷(1945-08-06/1945-08-06)広島平和記念資料館
あちこちと捜していると、安芸高等女学校の動員学徒は川土手の下にいたと聞き、そこへ向かった。現場には無残な姿の子どもたちの真っ黒い顔が並んでいた。
…節子が「お水ちょうだい」というと、まわりの息がある子たちも次々と水をねだるので…水を探しに行った。やっと水をくんで戻ると、みんな亡くなっていた。「ごめんね。ごめんね。」といって皆の口を水で濡らしてやった。
母・ヨシミさんが語った話から
半ズボン(1945-08-06/1945-08-06)広島平和記念資料館
「アイスキャンディ下さい お金がないから貸しといて」
主人が五十銭の札を握らせて「これで買って食べよ」といっていましたが、安らかに眠ってしまいました
二男の遺体を焼く(1945-08-06/1945-08-06) - 作者: 満田 義忠氏 所蔵/広島平和記念資料館広島平和記念資料館
ケイスウキ(計数器)(1945-08-06/1945-08-06)広島平和記念資料館
「お父さんが待っている」
生後すぐに亡くなった顔も見たことのない父のことを言いながら息を引き取りました
絵(1945-08-06/1945-08-06)広島平和記念資料館
「僕は世界を一周する 今日は行かぬ 明日行く」とうわ言を申しました。ああやっぱり助からぬのだと母と二人でかわいそうにと思いあって泣きました…学校の事はもう心配しないで早く良くなるようにと言って聞かせました。やっと気も落ち着きましたが、またまたうわ言に「お父さんが待っている」と申しました。
…ただあの子を楽しみにして生きていましたのに…
母・良子さんが書き残していた手記から
寄贈:船附小子氏、川向榮子氏、満田義忠氏、天野廉氏
原爆の絵作者:満田義忠氏