英虞湾環境省
複雑に入り組んだ美しいリアス海岸、穏やかな湾に浮かぶ大小の島々、悠久の歴史を刻む伊勢神宮……。
日本を代表する風景地ともいわれる三重県伊勢志摩は、2016年に開催された「伊勢志摩サミット」の会場となったことでも知られる。
志摩半島に広がる「伊勢志摩国立公園」は約6万ヘクタールもの広さをもち、伊勢神宮と背後に広がる豊かな神宮宮域林を中心とした内陸エリアと、複雑な地形や地質、小さな入江と岬が点在するリアス海岸に代表される海沿いのエリアに分けられる。
緑の絨毯 (アオサの養殖)環境省
ほかの国立公園と比べて私有地の割合が約96%と高く、居住人口も多いのが特徴で、地域の生活や風習などにも触れることができるのも魅力のひとつだ。
豊かな自然の景観と人々の暮らし、そして伊勢神宮を中心とする歴史と文化が融合した場所。それが伊勢志摩国立公園の最大の魅力といえるだろう。
伊勢神宮 内宮参道出典: (C)伊勢志摩観光コンベンション機構
伊勢神宮の歴史を守り支えてきた神宮宮域林
伊勢志摩国立公園の内陸部エリアの中心となるのが、2000年以上の歴史をもち、「日本人の心のふるさと」とも称される伊勢神宮だ。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る内宮(ないくう)と、衣食住の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る外宮(げくう)の2つの正宮をはじめ125の宮社から成り、全国の神社の中心として古来敬われてきた。
伊勢神宮 内宮の正宮出典: (C)伊勢志摩観光コンベンション機構
伊勢神宮で20年に一度行われるのが、社殿を建て替え御神体を遷す「式年遷宮」だ。
これは1300年にわたり繰り返されてきた儀式で、建築技術や御装束神宝などの調度品を現在に伝えると同時に、変わらない美しい社殿の姿によって、神と人々、そして国家の永遠を目指したものと考えられている。
新緑の神宮宮域林環境省
一度の遷宮で新しい社殿を作るためには「御造営用材」と呼ばれる1万本以上のヒノキ材が必要になる。これを伐り出す場所としていたのが内宮の背後に広がる「神宮宮域林」だ。しかし、鎌倉時代後期から御造営用材にできる良材がとれなくなり、以降は他の場所から調達されている。
そのような中、1923年、伊勢神宮はこれまでの伝統を取り戻そうと、人工林を200年間かけて計画的に育てていく「神宮森林経営計画」を策定。目標とする良質なヒノキを育てるため、植林や間伐を繰り返しながら、森林の保全と育成に取り組み始める。
そして90年後の2013年、第62回目の式年遷宮で宮域林のヒノキが御造営用材の一部として供給された。なんと約700年ぶりのことだった。
約5500ヘクタールの広大な宮域林は、神々を祀る地を守るため木を伐ることのない神域の森と、敷地内を流れる五十鈴川の涵養、そして御造営用材を育てることを目的とした人工の森に大きく分けられる。
伊勢神宮 五十鈴川環境省
自然林と人工林を分け保護と間伐をしっかり行ってきたことで、神宮宮域林には豊かな生態系が育まれ、約850種の植物が確認されているだけでなく、ニホンジカやムササビ、タヌキなど約2800種の動物のほか、オオルリやカワセミなど約140種の鳥類、さまざまな昆虫類も生息している。また、敷地内を流れる清流「五十鈴川」ではナマズやサワガニといった数多くの水生生物も見られる。
この地には伊勢神宮があるからこそ、森と人の関係が途切れることなく続いてきた。神宮宮域林はそう教えてくれる。
しじらみの浜 潮だまりの中を駆け抜ける魚環境省
海と森、人の営みが支え合う自然の循環
神宮宮域林は、豊かな海を育むためにも欠かせない存在だ。雨が降るたび森の養分が海へと流れ込み、それがプランクトンを育て、海の生物たちの栄養となる。さらに、この地特有の海底地形や黒潮の影響なども相まって、伊勢志摩の海には多種多様な生命が溢れている。
志摩半島の沿岸には海洋生物のゆりかごとなる海草や海藻による海中林が広がり、アワビやサザエ、カキなどの貝類、タコやイセエビなどが生息。マグロやマダイ、カツオなども泳ぎまわる。
海女の祭り「しろんご祭」環境省
こうした豊かな海があったことで盛んになったのが海女漁だ。2018年時点で日本にいる1390人の海女のうち、約半数を占める647人が鳥羽市と志摩市にいるという。
これほどまでに海女漁が健在な背景には、3000〜5000年といわれる長い海女の歴史の中に続く、自然への畏怖と感謝の念があった。資源を絶やさないためのルールや自然と共存することの大切さや想い。これらが伊勢志摩の豊かな自然を守ってきたといえるかもしれない。
真珠の養殖場環境省
シーカヤック環境省
「真珠の海」を体感できるアクティビティ
水質が良く穏やかな英虞湾や志摩の島々、南伊勢、鳥羽の海では、シュノーケリングやスタンドアップパドルなどさまざまなマリンアクティビティを楽しむことができる。
シーカヤック環境省
中でもシーカヤックは、リアス海岸の美しい景色を眺めながら周辺の自然環境を楽しむことができると人気だ。小さな無人島に上陸したり、真珠の養殖場に立ち寄ったりと場所や季節に合わせた豊富なプランが用意されている。
海女小屋体験環境省
ほかにも、海女さんの休憩所である海女小屋を再現した施設で獲れたての魚介を食べることができる「海女小屋体験」もおすすめしたい。いろんな話をしながら美味しい食事を楽しむひと時は思い出深い体験となるはずだ。
真珠アクセサリー作り体験環境省
志摩半島の海は「真珠の海」としても知られている。森や山から注ぎ込む栄養に富んだ海は真珠の養殖に適し、真珠養殖発祥の地として栄えた。とくに英虞湾周辺には真珠の養殖場が数多くあり、アコヤ貝を自分で選び真珠を取り出す体験や、真珠を使ったアクセサリー作りを体験できる施設もある。
アコヤ貝と真珠環境省
また、鳥羽湾にある「ミキモト真珠島」は、真珠について学び体験できるテーマパークだ。約7000坪の敷地内には真珠博物館や、世界で初めて真珠の養殖に成功し「真珠王」とも呼ばれた御木本幸吉の記念館があり、真珠や御木本幸吉の生涯について深く知ることができる。伊勢志摩の真珠。その輝きを生み出すのは自然の恵みだ。
かつお節いぶし小屋の目の前に広がる海出典: かつおの天ぱく | まるてん有限会社
「御食つ国」の歴史伝える波切の鰹節
海の幸に恵まれた志摩地方は古くから朝廷や伊勢神宮に海産物を納めてきた「御食つ国(みけつくに)」としての歴史がある。それを代表する漁港の一つが波切漁港だ。波切は奈良時代からカツオ漁が盛んで、その頃からこの地で作られた堅魚(現代の鰹節の原型)が平城京に税として納められた。
鰹節作りは地域の重要な産業となり、昭和初期ころには鰹を燻すための「いぶし小屋」が200軒以上あった。しかし、現在は3軒ほどまでに減っている。
天白社長出典: かつおの天ぱく | まるてん有限会社
そのうちの一つが「伊勢波切節 天ぱく」。現在も伊勢神宮の年中行事の中で最も大切な「神嘗祭」に毎年奉納することをものづくりの基本としている。大王崎の突端にある天ぱくの「鰹いぶし小屋」では、作業の合間に「鰹いぶし小屋見学会」を開催。伝統的な「古式手火山式製法」で作る鰹節について学ぶことができる貴重な場として、海外からも観光客が訪れる。
かつお節いぶし小屋出典: かつおの天ぱく | まるてん有限会社
「古式手火山式製法」とは、直火でカツオを燻す製法で、現在もこの製法をとっているところは全国でも10軒あるかないかだという。いぶし小屋にはたくさんの薪を焚いた炉があり、その上にカツオを並べたせいろをのせて焙乾を繰り返しながら水分を抜いていく。
さらにじっくり時間をかけて熟成。こうすることで旨味を引き出すのだそうだ。四代目の天白(てんぱく)幸明さんは「気温や湿度、魚の大きさなどによって火加減を見極めるのが難しく、熟練のカンと技が必要です」と話してくれた。
ウバメガシの薪出典: かつおの天ぱく | まるてん有限会社
カツオを燻すために使うのが、ウバメガシの薪。これは地域の里山から採った除間伐材で、こうして活用することによって山と海の自然の循環が保たれているのだという。
「山が荒れ放題になってしまえば、海に上手く養分が流れず、海の生物たちも育たなくなってしまいます。自然の循環を守りながら鰹節作りを行っているんです」。
かつお節を持つ天白社長出典: かつおの天ぱく | まるてん有限会社
波切の鰹節でとった出汁は、旨味がしっかりあるのに澄んでいて、香り高いのが特徴だ。茶懐石料理などでも重宝されている。そんな波切の鰹節は伊勢志摩の宝物だと天白さんは言う。
「鰹節からとる出汁の旨味は日本人のDNAに刻まれたもの。こうして一つ一つ変わることのない美味しさを作り続けていくことが、自分の天命だと感じているんです」
こうした人の熱い気持ちが、「御食つ国」の歴史を、そしてこの地の伝統と文化を、守り支えているのだろう。
協力・写真提供:
神宮司庁
伊勢志摩観光コンベンション機構
かつおの天ぱく まるてん有限会社
文:秦れんな
編集:林田沙織
制作:Skyrocket 株式会社
所属・内容等は取材当時(2024年)のものです。