食用バラのつぼみ(2020)農林水産省
「ここは、蛍が飛ぶんです。蛍が飛ばんところには、本来人は住んではいかんのです」町本さんは、山の麓に広がるバラ畑を眺めながら呟きます。ここは町本さんが営む、無農薬の食用バラ農場。今回は、「ばらのまち」と呼ばれる広島県福山市で、食用バラの文化に触れます。
食用バラ農家の町本さん(2020)農林水産省
無農薬、有機栽培の食用バラ
町本義孝さんは、福山で無農薬・有機栽培の食用バラを育てるバラ農家。農場があるのは、福山市の西のはずれ。車の排気ガスもとどかず、豊かな湧き水が流れる山のふもとです。「今から15年ほど前ですね、バラの街・福山ならではのお土産を作ろうという話が持ち上がって。それで食用のバラをやりはじめたんです」と町本さん。
ばら公園(2020)農林水産省
100万本の「ばらのまち」福山
福山の街には、100万本のバラが植えられています。きっかけは第二次世界大戦後の1956年。戦火によって市街地の約8割が焼失した福山の街。人々の心にやすらぎを取り戻そうと、市民がばらの苗木1000本を植えたのが始まりでした。それから有志の市民の取り組みによって市内のバラは増えていき、2016年にはついに100万本のばらの町に。最初の苗木が植えられた地は「ばら公園」となり、今も人々を楽しませています。
食用バラのつぼみ(2020)農林水産省
世界各地で進む有機農業
町本さんに続いて、農場を歩きます。「ここのばらは湧水だけで育てています。山のふもとですから、きれいな山の湧き水が集まるんです。これより上には民家も田んぼもないですから。田んぼで農薬を使うと、下流に農薬が流れるでしょう。生活排水を川に流せば水が汚れてしまう」。町本さんのバラ農場では一度も農薬を使わず、肥料も有機だけ。ビニールハウスもない露地栽培で、できる限り自然の恵みだけで育てています。
バラ農場の池(2020)農林水産省
もし農薬を使って虫に食われないようにすれば、今の3倍は生産できると言います。「それでも」、と町本さんは続けます。「効率だけを求めると、植物工場になってしまう。ハウスを使えば、生産は安定するでしょう。でも、温度を保つため化石燃料を使うことになる。農薬をまけば虫はつかないでしょう。でも、土壌が汚れてしまう。バラがどうやって受粉するか考えてください。バラの香りに呼び寄せられた虫たちが花粉を運ぶんです。農薬で虫を殺してしまえば、バラは香りで虫を誘えません。そんな不自然な環境では、花本来の香りは生まれないでしょう」
無農薬のバラ農場(2020)農林水産省
「日本はいままで大量消費、大量生産で環境をめちゃくちゃにしてきました。私はそれではいかんと思う」と町本さんは言います。農業の世界では、すでに世界は有機へとかじを切り始めています。例えば、海外では無農薬で3年以上栽培できるバラしか新たな登録はしないという宣言が出されたといいます。フランスでは国を挙げて農薬使用削減に取り組んでいます。「フランスもドイツも頑張ってる。世界はすでに自然や環境に目が向いている。日本も、自然を大切にする価値観を掘り起こさないといかんですよ。私たちが地方からそれを発信していかないと」
バラティー(2020)農林水産省
バラティー(2020)農林水産省
バラは薬草
町本さんの作るローズティーをいただきます。ティーバッグにお湯を注げば、天然のバラの華やかな香り。鮮やかなブルーに目を奪われていると、そこにレモンを数滴。するとブルーから美しいピンクに色が変化しました。糖度とPh値によって色が変わるのです。
「甘みを加えるならバラジャムを入れて。いい香りでしょう?これが本来のバラの香り。人口香料とは別物でしょう。日本のバラでは、色と形が重視されます。ところがフランスではさらに “香り”がないと、いいバラだとは認められないんです。日本のバラには、香りという基準が抜けているんです」
食用バラ農家の町本さん(2020)農林水産省
「日本には本物と呼べる食用バラがほとんどないのが現状です。減農薬で食用バラを始める農家は出てきましたが、完全に無農薬でというと、まだまだ。ローズティーはノンカフェインで、体の消化系統を整えます。バラは本来薬草なんです。日本はコーヒーばかりでしょう。それだけじゃなくて、こういうお茶の文化があっていいと私は思います。自然の力で育った本物の食用バラを、文化として日本に広めていかないと」
バラのデザートスペシャリテ(2020)農林水産省
広がる、福山のバラ食
そんな町本さんの思いに共鳴するように、福山の町では食用バラが広がりを見せています。福山のレストラン「ヌーヴェル ヴァーグ」は、福山産の食材にこだわった一軒家のフランス料理店。ここではディナーのコースに、町本さんのバラを使ったデザートを提供しています。
「ヌーベルバーグ」のシェフ 高田さん(2020)農林水産省
「福山ならではの料理を作ろうと思ったら、町本さんのバラに行き着きました」とオーナーシェフの高田展久さん。「町本さんの無農薬バラジュースを泡状にして、ベリーやヨーグルトのスムージーと合わせています。バラは香りの余韻が長いので、デザートにいいんです。ディナーコースの最後にお出しして、豊かな香りを食後まで楽しんでいただけます」
「カステロ 福山 ロゼ」(2020)農林水産省
続いて訪れたのが、福山のマイクロブルワリー「クラフトハートブルワリー」。ここの人気メニューのひとつが、町本さんが育てたバラの花びらを漬け込んだ醸造ビール「カステロ 福山 ロゼ」。
ブリュワーの濱岡さん(2020)農林水産省
「ほのかな酸味と、バラの香りが特徴です。店ではタップからドラフトで提供していますし、持ち帰り用のボトルもあります。バラの花びらが入っていますので、見た目も華やかですし、フルーティーなバラの香りを楽しんでいただけます」とブリュワー(醸造家)の濱岡康太郎さん。
ばら饅頭(2020)農林水産省
福山ならではお菓子にも町本さんのバラが使われています。昭和4年創業、福山の老舗和菓子店「勉強堂」では、ばらをモチーフにした銘菓「ばら饅頭」が人気商品。福山ならではのお土産として、長く愛されています。「天然のバラのエキスを使い、ほのかなバラの香りが楽しめるお菓子です」と、代表の門田治己さん。
「勉強堂」の門田さん(2020)農林水産省
「本来、お茶席の和菓子においては、花など香りが強いものはよくないとされてきました。香りはひかえめにし、色や形から四季折々の自然の趣を思い起こす。菓子自体が主張するのではなく、食べる人の想像に委ねる余地を残すのですね。しかし、茶室が身近ではない現代では、伝統に縛られるだけでは受け入れてはいただけません。時代のニーズにあわせて、香や味を楽しめるものも必要だと私は思います」。
福山市内のバラの花(2020)農林水産省
「ばら饅頭も、時代によって味や作り方を更新してきたのですが、なかなか安定せず、一時は生産をやめようかという話も出ていました。そんなときに、町本さんのバラに出会い、これならいいものが作れると。今後は和菓子にこだわらず、バラの香りをより楽しんでいただけるお菓子を提案していきたいです」。
今まさに広がりゆく、福山のバラの食文化。この町の人々のバラへの思いと歴史を味わいに、訪れてみませんか。
協力:
町本株式会社
ヌーヴェル ヴァーグ
クラフトハートブルワリー
勉強堂
写真: 阿部裕介(YARD)
編集・執筆 : 山若マサヤ
制作: Skyrocket 株式会社