大阪で生まれた、お客さんの目の前で調理される「割烹」という料理のスタイル。それはいわば、五感を刺激される場でもあります。食材の香りがすぐ近くから漂ってきて、目は料理人の優雅な手さばきや色鮮やかな食材、さらに美しく盛られた一皿にと大忙し。焼いたり揚げたりの心地いい音におなかをすかせながら、食べる前にすでに口は料理人との会話を楽しんでいる。こんな割烹文化が、ここ大阪の地で生まれ、愛され続ける理由は何なのでしょうか?
浪速割烹 㐂川 茶釜と柄杓(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
法善寺横丁(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
「浪速魚菜の会」代表 笹井良隆さん(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
豊穣の海と、様々な文化が出会う場所
大阪が商人としての腕を本格的にふるいはじめたのは、豊臣秀吉の死後、政権が江戸に移ってから。商売のため徒歩や北前船で大阪にやってきた人々が、地方から物や情報をたくさんもたらします。「天下の台所」と呼ばれるほど活気あるムードがまた人を呼び、さらに街が活気づくといった好循環があったよう。
「雑多だけれど、きちんと融合している。料理でいうたら和え物ですわな」。そう説明してくれたのは、「浪速魚菜の会」代表理事の笹井良隆さん。
江戸時代の料理本(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
「食文化にはその地の人々の気質がよく出ますよね。江戸は武士、京都は公家、そして大阪は商人の街だった。やはり商売を食に取り込んだことが大きかったでしょう。大阪の料理は大きくわけて、会席と割烹の2つ。まず会席は京都のお茶文化からきた懐石ではなく、自分が遊ぶ以外に、商売の取引相手をもてなすという大事な役割があった。
下処理を施した海鮮に塩をふる(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
何日も前から取引相手のためにすべて「お膳立て」するので、いわば料理屋とお客はいいビジネスパートナーだったんですね。対して割烹は、商売から離れ「食べたいときに食べたいように」という思いで会席から発展したもの。「お金を払うなら好きなようにしたい」という大阪人の合理主義にもぴったりはまったんでしょう。例えば、今でも関東の人は料理に不満があっても、その場ではなにも言わずもう二度とそのレストランに来ない。でも大阪人は違います。思いっきり文句を言ったくせに、次の週にひょっこりまた来店したりする(笑)。ある意味、お客が料理人を育ててきたとも言えますね」
江戸時代の料理本 大阪の食文化を表した絵(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
話しながら笹井さんが見せてくれたのは、淡い色合いが可憐な1冊の本。明治30年(1897)に出版されたという、写真に彩色を施した料理指南書です。
「この写真は、大阪の割烹文化をよく示しています。この板前(*)は、客に供する活きた鯛をさばいている。よく「関西」とひとくくりにされますが、京都ではない光景ですね。まずお客の前で即座に調理する様子、そして風土です。山のイメージが強い京都と違い、大阪には河川がたくさん流れこむ豊かな大阪湾がある。だから魚を「活かす」包丁の文化も栄えていったのです」
*板前‥俎(調理)板の前に立つ料理人
法善寺(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
法善寺(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
法善寺横丁(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
カウンター席で料理人の仕事を眺める(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
軽快なやりとりも、旨味のひとつ
しかし目の肥えたお客さんたちを前に、料理人の実力が一瞬でわかるという包丁さばきを披露する風景は、世界の高級レストランでもなかなか見られないもの。様々な事柄に気を配らなくてはいけない調理のスタイルは、料理人にとってできるだけ避けたいものなのでは?
はじめは慣れなかったと話すのは、江戸時代の風情を残す法善寺横丁に居を構える、「浪速割烹 喜川」の主人 上野修さん。
其々味割鮮㐂川流(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
「手元を見られつつ、料理をしながら会話するなんて、仕事に余裕がなきゃできません。会席は予約があるので前もって仕込めますが、割烹は飛び込みのお客さんもいてはるので即興も必要。昔は、へぎ板(紙代わりに使う薄い紙)に、鯛、いか、蛸といった風に素材の名前しか書いていなかった。『鯛どないすんの?』『刺身でもいけまっせ』といったやりとりが生まれますよね。今もお客さんの会話を聞いて味付けを変えたり、好みに合わせることはようします。さらに大阪の、命を使い切るという『始末の料理』も腕の見せどころ。
合理的な大阪人が高級な鯛を好んできたのも、ご飯で炊いてもいいし、刺身は絶対的にうまいし、鱗とエラは唐揚げ、中骨や内臓も美味しいから。全部使ったら結果的に安くあがるしね。若くて敷居が高いと思ってはる人も、コースから始めてもいいと思います。今日『おなかいっぱいで沢山は食べられへんわ』っていう時でも大丈夫。アレルギーなども含め、可能な限り対応しますよ」
目板鰈の新挽揚(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
一皿から「なにわ」の心意気を感じて
「大阪割烹」と名乗るのではなく、「浪速割烹」。「なにわ」は浪花とも難波とも書きますが、大阪人にとってどういう意味をもつのでしょうか。
「「なにわ」は「魚庭」や「菜庭」とも書くんですよ。魚や野菜がすぐ近くでとれていたからで、他から来るものを抜いても、大阪だけでも相当食材には恵まれていた。地名の「大阪」よりも、「なにわ」にはもっとローカルな、気概や心持ちが込められている気がします。「なにわ」の料理は、やっぱり「なにわ」でしか作れないと思う。食材も水も言葉も、大阪にこだわる。大阪以外で店を出したとしても、やがて言葉も食べ物も、その土地のものに徐々に染まっていく。そうすると、少しずつズレがでてくる。フレンチや他の国の料理の要素を取り入れたりして柔軟でいることは大切ですが、「なにわ」へのこだわりはこの先の世代にも継いでもらいたいですね」
浪速割烹 㐂川 外観(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
浪速割烹 㐂川 石碑(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
街にも割烹にも欠かせない、人情という隠し味
賑やかな道頓堀から1本小路に入っただけで、まるでタイムスリップしたような雰囲気に包まれる法善寺横丁。地元の人が「お寺さん」と親しみを込めて呼ぶ、法善寺がこの地に移ったのは1637年です。寄席や芝居小屋が集まり、以前は吉本新喜劇の前身の花月もあったそう。現在も周囲のお店とともにお祭りを開催したりと、長い歴史ゆえ人と人がきちんとつながっている温かみのある空気を好み、お客さんも集まるのかもしれません。
法善寺横丁の提灯(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
「戦火で残ったのは、石のお不動さんのみです。2002年に中座が火事になったときは、すぐ近くまで火がまわりました。以前より、山でお弁当のおにぎりを食べた時にすごい美味しいなと感動した記憶があります。でも火事が起きて、周りの店のみんなも外で何時間も茫然と火を見てるしかなかった。
昔の写真 エンタツ・アチャコ(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
そんなときおにぎりを配ってはる人がいて、頂いたら今まで食べた何よりも美味しかったんです。しかも配っていたのは、すでに焼け落ちていた店のスタッフだった。大将に言われて配っていたんですね。自然はすごいと思っていたけれど、それよりも人情というものは素晴らしいのかもと思いました。要は人間って一番弱い動物。自分一人で生きてるような顔してる人はいっぱいおりますけど、支えられてるって自覚しないと、美味いもんも分からなくなりますね」
なんば界隈の夜の風景(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
浪速割烹 㐂川 上野 修さん(2019/2019)公益財団法人大阪観光局
そんな思わずうるっとくる話を披露した後で、「今日の大将かっこいいやろ?」と笑わせたり、伊勢海老の前でお茶目なポーズをとる大将。いかにも大阪流の照れ隠しが優しく、心地よい。
つまるところ、料理屋とは料理する側と食べる側、どちらもいないと成り立たない場所。その両者の間にお互いを支えあう、温かいつながりが生まれるとしたら。「あの料理人に会いに、ご飯食べ行こう」と思わせる店が、大阪にはあります。
協力:
浪速割烹 喜川
特定非営利活動法人 浪速魚菜の会
公益財団法人 大阪観光局
写真:中垣 美沙
執筆:大司 麻紀子
編集:林田 沙織
制作:Skyrocket 株式会社