産業化の流れに乗って
フランス革命(1789年)の混乱が終わり、19世紀のヨーロッパでは貴族社会から新興富裕階級、いわゆるブルジョワジーが中心となる市民社会へと移行していきます。イギリスを皮切りに始まった産業革命は各国に波及し、都市部では百貨店が登場、鉄道網も整備され、人びとの生活が近代化します。ファッションもそうした動きをとらえて大きく変化します。オートクチュール(高級仕立服)の制度がパリで誕生し、女性服が流行の中心になりました。
エンパイア・スタイル
新古典主義が広がった18世紀後期、自然への憧憬が強まるとともに、宮廷での過剰で人工的な造形美とは対照的な簡素な衣服が流行の兆しを見せました。その傾向は1789年のフランス革命によって一挙に進み、身体を大胆に解放した革新的で現代的な身体意識の現れともみえる服飾が現れます。
ドレス(ラウンド・ガウン)(1795年頃)京都服飾文化研究財団
ラウンド・ガウン
フランス革命と前後して、ロココの華やかな色彩の豪奢なドレスの流行は、白く簡素なドレスへと変化します。ラウンド・ガウンは、19世紀初頭に熱狂的な勢いで流行する白いモスリンのドレスへの移行期に流行したハイ・ウエストのワンピース・ドレス。
ドレス(1802年頃)京都服飾文化研究財団
シュミーズ・ドレス
古代ギリシア・ローマの彫像を思わせるハイ・ウエストのドレス。肌が透けて見えるほど薄い白の綿モスリンで作られたドレスは、シュミーズ・ドレスと呼ばれ、19世紀初頭のファッションを特徴づけています。
ドレス(1805年頃)京都服飾文化研究財団
後部にたっぷりとギャザーが寄せられ、スカートには長いトレーン。下着のような白いシュミーズ・ドレスが当時の新古典主義と同調し、革命後の新しい美意識と価値観を求める女性達の心をつかみました。その例はダヴィッドや、フランソワ・ジェラールが描く当時の社交界のリーダーであったレカミエ夫人像に見ることができます。
盛装用ドレス(1805年頃)京都服飾文化研究財団
華麗で優美な最高級の絹製宮廷用ドレス。当時、薄い綿のドレスが広く流行し、フランス経済の重要な担い手であったリヨンの絹織物業は壊滅状態に陥ります。復興のため、ナポレオンは宮廷における絹の着装を勧めるべく、1811年、公的儀式の際には男女ともに絹の着用を命じる勅令を出しました。
ロマンチック・スタイル
釣鐘型のスカートと大きく膨らむレッグ・オブ・マトン(ジゴ)袖、ネックラインとショルダーラインがともに下がった大きなデコルテ、シルエットはアルファベットのX字型を描き、腰の細さが強調され、スカート丈は踝が見えるほど短く、刺繍入りの靴下や四角い爪先の華奢なフラットシューズが裾から覗く。このようなドレスのデザインは、1830年代に全盛となるロマン主義が理想とする女性美や女らしさを色濃く反映していました。ロマン主義の芸術家たちは、憂愁な雰囲気を持ち、青白い肌をした華奢な女性の姿に美しさや女らしさを見出しました。
デイ・ドレス(1826年頃)京都服飾文化研究財団
レッグ・オブ・マトン
羊の脚のような形状の大きな袖で、ジゴ袖(英語ではレッグ・オブ・マトン袖)と呼ばれます。1820年代から膨らみ始めた袖は、30年代半ばに最大に達します。女性服のシルエットがめまぐるしく変化した19世紀、大きな袖は再び世紀末に流行しました。
クリノリン・スタイル
クリノリンは、もとは麻布に馬の尾毛を織り込んだペティコートでした。1850年代後半、針金や鯨のひげなどの輪を水平に何本もつないだ画期的なクリノリンが誕生します。軽くて着脱の容易なクリノリンの出現でスカートは急激に巨大になり、60年代に最大となりました。大きくなりすぎたクリノリンは、歩くにも戸口を通るにも支障をきたし、風刺画の格好の材料として取り上げられました。
イヴニング・ドレス(1855年頃)京都服飾文化研究財団
繊細で可憐な女性らしい1850年代の典型とも言うべきドレス。大きく開いたデコルテ、なで肩を包む小さな袖、ウエストラインは腰の細さを強調するため切り替え線が下に向かって尖り、スカートはふわりと膨らんでいます。3段の段飾りは装飾も兼ねて膨らみを強調しています。
イヴニング・ドレス(1866年頃)京都服飾文化研究財団
フランスは第二帝政期(1852-70)、ナポレオン3世治下の権威主義的な政策と近代化による経済成長で、衣服を含んだ贅沢品産業が大きく発展します。大量の布地を必要とするクリノリン・ドレスに繊細なレースや手の込んだトリミング装飾の数々。頻繁に開催される公的儀式や舞踏会、万国博覧会などの大イベントで富裕階級の女性たちはドレスの豪華さとその数を競い合いました。
カシミア・ショール(1850-60年代)京都服飾文化研究財団
クリノリンが次第に巨大になっていくとコート代わりとしてショールの身に着け方が女性の上品さを示す指標になりました。
カシミア・ショール
18世紀末に西洋にもたらされたカシミア・ショールは、インド北西部カシミール地方の山羊の短く柔らかい毛を手で紡いだ高価な品。希少性と異国趣味、実用性も兼ねて、19世紀を通じて大きな流行となりました。
バッスル・スタイル
ドレスのシルエットの変化が著しかった19世紀後半、1860年代末から80年代にかけてバッスル・スタイルが流行しました。臀部がはり出すこのシルエットはバッスルと呼ばれる下着を用い、さらにオーバースカートの後ろ部分をたくし上げて臀部にボリュームを出します。
ドレス(1874年頃) - 作者: シャルル=フレデリック・ウォルト京都服飾文化研究財団
後ろ腰のたっぷりとした膨らみと扇状にひろがるトレーンは、クリノリン・スタイルからバッスル・スタイルへ移行した直後のスタイルです。
鮮やかな紫は、1856年に開発された化学染料、アニリンによって流行しました。
舞踏会用ドレス(1880年頃)京都服飾文化研究財団
プリンセス・ドレス
プリンセス・ドレスは、後にイギリス王妃となるアレクサンドラが好んで着用したことに因んでいます。ウエストに切り替えがなく、縦の切り替え線のみを使ってウエストをフィットさせ、バストやヒップを強調するカッティングで、1880年前後に流行しました。
オーガンジーに植物模様の3種類のバランシエンヌ・レースがはめ込まれている。使用されたレースは約50mにも及びます。
ウォーキング・ドレス(1884年頃)京都服飾文化研究財団
19世紀後半、パリ大改造計画により近代都市へと生まれ変わったパリでは百貨店などの商業施設の発達、博覧会や展覧会の開催、道路や公園の整備などにより戸外での散策が広まります。また、鉄道網の急速な発達によりピクニックや避暑、旅行などで人々が余暇を楽しむようになりました。
ディナー・ドレス(1892年頃) - 作者: シャルル=フレデリック・ウォルト京都服飾文化研究財団
エレファント・スリーブ
1880年代後半からバッスルは縮小し、スカートのラインはすっきりとした形へと移行しました。それに対して、袖が90年頃から大きく膨らみ、ジゴ袖の再来ともいえる大きな袖は、エレファント・スリーブと呼ばれ、95年頃最大となります。
S字型シルエット
ベル・エポックの時代、豊かな胸を前方に突き出し、腰を後方に張り出した極端に細いウエストを強調するS字型シルエットのドレスが流行しました。コルセットによる体の変形が極限へ達します。同時期の新たな芸術運動、アール・ヌーヴォーが志向した曲線的な造形でもありました。
デイ・ドレス(1903年頃)京都服飾文化研究財団
流麗なSカーブを描くドレスには、それまでの厚手のしっかりとした素材に代わり、薄く柔らかな素材が多く使われました。
シフォンの薄く柔らかな素材で流れるようなラインが魅力的に表現されています。レースや軽やかな薄絹の装飾もふんだんに施されています。
19世紀の女性下着
フランス革命の激動期、ロココ期の衣装から、合理的な新古典主義の衣装へと劇的に展開したとき、鯨骨入りのコルセットとパニエは使われなくなります。1804年頃から新たに鯨骨の入らない柔らかいコルセットが登場し、19世紀を通してクリノリン、バッスルとともにコルセットは再び女性の不可欠な下着となりました。
コルセット(1820年代)京都服飾文化研究財団
全体に柔らかい仕立てのコルセット。ウエストを細く締める力はさほど強くありません。19世紀初頭に一旦姿を消したコルセットが再登場して間もない頃のものです。
スリーブ・パッド(1830年代)京都服飾文化研究財団
スリーブ・パッド
1830年代を特徴づける大きなパフ・スリーブのためにスリーブ・パッドは使われました。薄い綿素材でギャザーをふんだんに使い立体的に仕立てられています。中身の羽毛は軽く、パッドを大きく膨らませます。流行のなだらかな肩の線を延長するためにパフ・スリーブは効果的でした。
クリノリン(1865年頃)京都服飾文化研究財団
クリノリン
50年代後半には、針金や鯨のひげなどの輪を水平に何本もつないだ新案特許のクリノリンが誕生します。さらに、鋼鉄製のクリノリンなど、新しい技術が投入され、軽くて脱ぎ着の容易なクリノリンが次々と開発されました。
バッスル(1870年代)京都服飾文化研究財団
バッスル
後ろ腰にボリュームをだす為のバッスルは、さまざまな形状があります。70年代にはスカート型のバッスルが多く登場します。スチール・ワイヤー・ボーンを骨組とするクリノリンの原理を利用していて、クリノレットとも呼ばれました。
内側のレーシングでボーンの彎曲に強弱をつけることによって、上に着用するドレスのシルエットに応じたボリュームの調節が可能になっています。
コルセット(1880年代)京都服飾文化研究財団
コルセット
女性は理想の体型に近づこうと、20世紀初頭までコルセットでウエストを締め続けました。産業の発達により創意工夫をこらしたさまざまなコルセットが生まれ、特に鉄の鳩目が1828年に導入されてから、締めるという機能は飛躍的に高まりました。