日本のラ・リューシュ

1900年代初頭のパリには、有名な二つの集合アトリエがありました。一つはピカソたちが暮らした洗濯船(バトー・ラヴォワール)そしてもう一つはシャガールやモディリアーニが暮らしたラ・リューシュです。 その歴史的な建築ラ・リューシュ、実は日本にも存在しているのです。1970年代後半、日本とフランスのラ・リューシュを巡る物語をご紹介いたします。

ラリューシュ清春芸術村

パリのモンパルナス地区にある特徴的な16角形の建物。
レンガと鉄、木材から造られた3階建ての建物は、フランス語でラ・リューシュ(蜂の巣)と呼ばれています。

ラリューシュ清春芸術村

ラ・リューシュは、もともと1900年のパリ万国博覧会のワインパビリオンとして建てられた建物。
設計は、エッフェル塔で有名な鉄の魔術師ことギュスターヴ・エッフェルでした。

万博の後、役目を終えたラ・リューシュは解体されることなく競売にかけられました。そして当時パリで流行していたアルフレッド・ブーシェという彫刻家によっていくつかの建物と一緒に、現在のモンパルナス地区に移築されたのです。

ラ・リューシュ内部

建物中央の踊り場からは、上階につながる螺旋階段が伸びています。
この踊り場を中心に、各部屋が放射状に位置する様子から”蜂の巣”の呼び名がつきました。
部屋の一つ一つが、アーティストのためのアトリエになっています。

ラリューシュ清春芸術村

彫刻家ブーシェは、移築した建物をアーティストに安い値段で貸していました。
集合アトリエに暮らしたのはアーティストとしての成功を夢見てフランス国外からやって来た無名の人物が多く、シャガールやモディリアーニもそのような若者の一人だったのです。

さて、このラ・リューシュの姉妹とも言える存在が日本にあるのをご存知でしょうか?
東京から約2時間、山梨県北杜市に位置する清春芸術村にて、桜の木に囲まれたその姿を見ることができます。

清春芸術村清春芸術村

なぜ、日本にラ・リューシュが存在しているのでしょうか?
話は1960年代のパリにさかのぼります。
当時、オリジナルのラ・リューシュはスラム化が進んでいたことに加え、パリの再開発の計画範囲に含まれていたことから取り壊しが予定されていました。

当時、シャガールらラ・リューシュ歴代の住人たちは先頭に立って取り壊し反対への運動を行いました。
そのデモに、フランスまで絵を買い付けに来ていた画商の吉井長三が遭遇したのです。
彼はラ・リューシュの建築と歴史に魅せられ、取り壊すのであれば日本に移築したいと考えました。

それは、かねてから思い描いていたアーティストの交流の場を日本に作ると言う夢の実現への第一歩でもありました。
しかし、取り壊しは土壇場で市長が変わったことで白紙に戻り、ラ・リューシュは無事に保護され、アトリエとして変わらず使われることになったのです。

清春芸術村清春芸術村

日本に戻ってからも、ラ・リューシュのことを忘れられなかった彼は、オリジナルを持ってくることができないのであれば、設計図を元にエッフェルの建物を再現することを試みました。
幸い、設計図を見たところ十分再現は可能だということが分かり、現在の場所にて着工されました。

ラリューシュ清春芸術村

こうして1981年、オリジナルに瓜二つの集合アトリエ ラ・リューシュが日本に誕生したのです。

現在でもラリューシュはアーティストの制作の場として使われているため、内部全ての公開はされていませんが、いくつかの部屋はミュージアムショップや資料室として開放しています。
清春芸術村にお越しの際は美術館のご見学の後に、ぜひ、お立ち寄りください。

ラ・リューシュ(ギュスターブ・エッフェル)清春芸術村

提供: ストーリー

清春芸術村
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